写真誤用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:50 UTC 版)
1998年、前年11月発行の笠原十九司『南京事件』III章の扉に「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」のキャプションで掲載された写真(1938年の中国国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』に掲載)が、実際には『アサヒグラフ』昭和12年11月10日号に掲載された「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ」という写真であることが秦郁彦により指摘された。笠原は、中国国民政府軍事委員会政治部が事実と異なるキャプションを付したことに気付かず使用したことにつき、読者に詫びた。これを受け岩波書店も謝罪し村瀬守保の写真に差し替えた。 偕行社『南京戦史』の編集委員で中間派の板倉由明は1999年に著書『本当はこうだった南京事件』を刊行し、秦賢介、田所耕三、赤星義雄、高城守一、中山重夫、曽根一夫、東史郎、船橋照吉、などのこれまでに発表されてきた「虐殺があった」との証言について綿密に考証し、軍公式記録などの記録や他の証言などと矛盾する点を列挙したうえで、そのなかには明確に「ニセ証言」もあると考察した。 一方で、否定派の先走りも問題として指摘されている。東中野修道等著の『南京事件証拠写真を検証する』は、「はじめから南京事件の証拠ではない写真を検証して『証拠とならない』と言ってみせる」、『村瀬写真集の中から「虐殺された後薪を積んで、油をかけられた死体」の二枚の写真がはずされている。この写真は集団虐殺をした日本兵が悪臭のためマスクをして、煙がまだ残っている死体の現場に立っているもので、否定できなかったのであろう。否定できない写真は「検証」からはずし、「証拠写真として通用する写真は一枚も無かった」と結論するのはまさにトリックである』との笠原十九司の主張がある。 また、同様に否定派の問題点として、東中野修道は”南京大虐殺の証拠写真はすべて捏造である”と主張する ものの、東中野修道の写真分析では全て捏造という主張に行き過ぎがあるとの主張(考証・指摘の間違いもあり、例えば女性の陰部に異物を入れる残虐行為は中国人しか行わないので偽写真とみなす(実は日本兵も行っていた) というのは行き過ぎて、そもそも外国人でも殺人事件そのものは撮影がほぼ不可能なことを考慮していないなど)が存在する。 大虐殺派には、「南京への道・史実を守る会」のようにインターネット論争を通じて、否定派を批判する研究者も現れた。
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