写真課から映画部
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1922年、日本電報通信社に写真課設置。 1924年、松竹やヘンリー・小谷の協力を得て、写真課活動写真係を設置。ニュース映画を制作。 1928年、写真課活動写真係を活動写真部に昇格。東京朝日新聞社のニュース映画を受託製作。 1933年、翌年にかけて取り組まれた東京日日新聞社『小学校地理映畫大系』全13編の製作に参加。 1934年、山本早苗作画によるアニメーション映画「とのちゃんのいたずら」(11分)を制作。1935年、児童用劇映画「お山の大将」を制作。 1936年6月、活動写真部のニュース部門を同盟通信社に移譲。活動写真部は映画部と改称、映画部は、短編・文化映画専門となる。同年、山本早苗作画・演出「おいらの非常時」、児童用劇映画「雪晴れ」などを製作。 1937年、児童用劇映画「わん公日記」、アニメ「漫画のマン吉」を製作。 1938年、トーキー「みくにの子供」を製作。 1939年、国防増産映画を制作し始める。 1940年、東京蒲田に500坪余りの土地を買収登記。 1941年6月、撮影・現像設備のある蒲田スタジオが完成。松竹大船作品の大半を受注。婦人公論社との提携による「生活文化シリーズ」など26本を製作。
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