トーキーとは?

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トーキー [1] 【talkie】

音声を伴った映画フィルム上にサウンド-トラックを有し,画面とせりふなどの音声同期させたもの。発声映画。 ↔ サイレント

トーキー(Talkie)

読み方:とーきー

  1. 発声映画のことをいふ。英語のTalking-Cinema(トーキング・キネマ)の略されたものであらう。Talking(トーキング)は「物を言ふ」こと。Cinemaキネマ)は「活動写真」のことである。
  2. 発声映画のことをいふ。英語のTalking-Cinema(トーキング キネマ)の略されたものであらう。Talking(トーキング)は「物を言ふ」こと。Cinemaキネマ)は「活動写真」のことである。

トーキー(Talkie)

読み方:とーきー

  1. Talkie-Stick(トーキー・ステッキ)の略語である。トーキー・ステツキの条を見よ。〔情事語〕

分類 情事

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トーキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 09:44 UTC 版)

トーキー (talkie) は、映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったものである。サイレント映画(無声映画)の対義語として「トーキー映画」と呼ばれることもあるが冗語である。無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれる。音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない。発声映画が最初に上映されたのは1900年パリでのことだったが、商業的に成り立つにはさらに10年以上を要した。当初は映画フィルムとは別にレコード盤に録音したものを使っていたため同期が難しく、しかも録音再生の音質も不十分だった。サウンドカメラ発明によって同期が簡単になり、1923年4月にニューヨークで世界で初めてその技術を使った短編映画が一般上映された。


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  7. ^ 音声技師 Mark Ulano は "The Movies Are Born a Child of the Phonograph" ("Moving Pictures That Talk" の第2部)において、Phono-Cinéma-Théâtre の同期方式について解説している。

    This system used an operator adjusted non-linkage form of primitive synchronization. The scenes to be shown were first filmed, and then the performers recorded their dialogue or songs on the Lioretograph (usually a Le Éclat concert cylinder format phonograph) trying to match tempo with the projected filmed performance. In showing the films, synchronization of sorts was achieved by adjusting the hand cranked film projector's speed to match the phonograph. the projectionist was equipped with a telephone through which he listened to the phonograph which was located in the orchestra pit.

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  29. ^ Bradley 1996, p. 4; Gomery 2005, p. 29. (Crafton 1997) では、グリフィスの映画が無声映画の状態では公開されなかったと間違ったことを書いている。また、 Ralph Graves と Richard Grace を取り違えている(p. 58)。
  30. ^ 8本の短編映画はそれぞれ Caro NomeAn Evening on the DonLa FiestaHis PastimesThe Kreutzer SonataMischa ElmanOverture "Tannhäuser"Vesti La Giubba という題名だった。
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  54. ^ Crafton 1997, pp. 168-69 にはこの用語の語源が記されている。「懐疑的な報道はそのような改造された映画を軽蔑的に 'goat glands' と呼んだ(中略)これは1920年代の性的不能の様々なとんでもない治療法を指した言葉で、怪しげな回春薬、強壮剤、外科的処置などを含む。それは製作者が古い映画に何らかの新たな生命を吹き込んだことを暗に示している」
  55. ^ 完全トーキーのみを製作していたRKOの最初の作品はもっと後の公開だったが、1928年10月の創設時に合併の一方の側だったFBOが製作していた映画がRKOのものとしていくつも公開されている。
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  58. ^ 1931年に、ハリウッドで意図的に台詞を避けた映画が2本製作されている。チャールズ・チャップリンの『街の灯』(ユナイテッド・アーティスツ)、F・W・ムルナウロバート・フラハティの『タブウ』(パラマウント)である。アメリカ合衆国で無声映画として製作され広く公開された最後の映画は1930年4月に Biltmore Pictures が公開した『タルマッヂの貧乏長者 (The Poor Millionaire) 』である。(Robertson 2001, p. 173)
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    によれば、ベルリンでも同月に公開されているが、無声映画としての公開だった。ベルリンで『ジャズ・シンガー』が完全な形で公開されたのは1929年6月のことである(外部リンクの The Singing Fool 参照)。パリでは1929年1月に音付きで公開された(Crisp 1997, p. 101)。
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  65. ^ ちなみに IMDb.com では Der Rote Kreis/The Crimson Circle の制作会社を間違って British International Pictures (BIP) としており、Zelnik の名の綴りも間違って "Frederic" としている。本当にBIPが製作した Kitty もイギリス初のトーキーの候補とされることがあるが、この映画は1928年に無声映画として公開され、台詞を追加録音するために俳優らがニューヨークに行き、1929年6月に再公開された。
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    Crisp は2002年の著書 Genre, Myth, and Convention in the French Cinema, 1929–1939 (Bloomington: Indiana University Press) の中で Le Collier de la reine は単に音を付けただけで台詞はないとしている(p.381)が、(Crisp自身の1997年の著作も含め)他の文献には会話シーンがあったと記されている。また、Crispは Les Trois masques の公開日を10月31日としているが、前掲の Cine-studies では11月2日としている。なお、Crispは Genre, Myth, and Convention の中で長編映画を60分以上と定義している。
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    program for XXI Mostra Internazionale del Cinema Libero (Bologna; November 22–29, 1992) によれば、この映画はパリで製作された。IMDbによれば、チェコとドイツの共同制作となっている。この2つは必ずしも矛盾しない。Czech-Slovak Film Database によれば、まずドイツで無声映画として撮影され、パリ近郊のゴーモンのスタジオでチェコ語、ドイツ語、フランス語のサウンドトラックを制作したという。
  78. ^ Robertson 2001, pp. 10–14. Robertsonはスイスでも1930年にトーキーを制作したと主張しているが、他の文献では確認できていない。フィンランド、ハンガリー、ノルウェー、ポルトガル、トルコでは1931年に初のトーキーが制作された。アイルランド(英語)、スペイン、スロバキア語のトーキーは1932年、オランダ初のトーキーは1933年、ブルガリアは1934年である。ちなみにアメリカ大陸では、カナダ初のトーキー North of '49 は1929年公開で、前年の無声映画 His Destiny のリメイクである。ブラジル初のトーキー Acabaram-se os otários も1929年である。同年、ニューヨークでイディッシュ語初のトーキー East Side Sadie(元は無声映画)が制作され、それに Ad Mosay が続いた(Crafton 1997, p. 414)。メキシコ初の(スペイン語の)トーキー Más fuerte que el deber の公開年は1930年または1931年で、文献によって記述が異なる。アルゼンチンは1931年、チリは1934年である。Robertsonはキューバ初の長編トーキーを1930年の El Caballero de Max だとしているが、他の多くの文献は1937年の La Serpiente roja としている。1931年にはアフリカ大陸でも初のトーキーが制作されている(南アフリカの Mocdetjieアフリカーンス語)。 その後エジプト(アラビア語)の Onchoudet el Fouad(1932年)、モロッコ(フランス語)の Itto(1934年)が続いた。
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    いくつかの文献は Yuli Raizman が監督した Zemlya zhazhdet をソビエト連邦初のトーキーとしている。これは、1930年に無声映画として公開され、翌年に音楽と効果音だけを付けて再公開されたものである(Rollberg 2008, p. 562)。
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    なお、Burchは『マダムと女房』の公開年を1932年と間違えており(p.146)、成瀬巳喜男が1936年までトーキーを撮らなかったとしているが、これも後述するように間違いである(p.146)。
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    1934年3月には初のカンナダ語のトーキー Sathi Sulochana が公開された(Guy 2004)。その直後に Bhakta Dhruva (aka Dhruva Kumar) が公開されたが、こちらの方が先に打ち切られた(Rajadhyaksha & Willemen 2002, pp. 258, 260)。ごく一部のウェブサイトは1932年版の Heer Ranjha を初のパンジャーブ語のトーキーとしているが、信頼のおける文献では共通してヒンドゥスターニー語だとされている。初のパンジャーブ語のトーキーは一般に1935年の Pind di Kuri (aka Sheila) とされている。初のアッサム語のトーキー Joymati も1935年公開である。多くのウェブサイトではオリヤー語の最初のトーキー Sita Bibaha を1934年公開としている。しかし(Chapman 2003, p. 328)では1936年と断定しており、(Rajadhyaksha & Willemen 2002, p. 260)では "1934?" としている。
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