トーキーとカラー映画の導入とは? わかりやすく解説

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トーキーとカラー映画の導入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:49 UTC 版)

ワーナー・ブラザース」の記事における「トーキーとカラー映画の導入」の解説

ヴァイタグラフが進めていた音声映像同期したディスク有声映画システムヴァイタフォン開発引き継ぐこととなり、1926年よりこのシステム利用して音楽効果音のある有声映画の製作開始1927年10月には、これをさらに進め部分的にせりふのある世界初長編映画である『ジャズ・シンガー』を配給した。これがトーキー時代の幕開けであり、これはハリウッドセンセーション巻き起こす事象であったが、『ジャズ・シンガー公開前にトーキー開発に熱心だったサム・ワーナーが死去彼の葬儀のためワーナー兄弟は『ジャズ・シンガー』のプレミア出席することはできなかった。 この映画成功得た資金により、大手配給会社スタンレー1928年買収しスタンレー3分の1所有していたワーナーライバルである大手映画製作配給会社ファースト・ナショナルFirst National Pictures)の買収王手をかけた。ウィリアム・フォックス率いフォックス・フィルム20世紀フォックス前身)との激し買収合戦の末、1929年ファースト・ナショナル経営権を得ることに成功したが、大恐慌映画業界直撃ファースト・ナショナル合併し同社バーバンク所有していたスタジオ移転した裁判所より合併認められたが、1938年まで毎年何本かの映画ファースト・ナショナル名義製作・配給するよう要請されその後30年間にわたり「ワーナー・ブラザースファースト・ナショナル(A Warner Bros. - First National Picture)」名義での製作が行われた。 1928年世界初の初の全編音声付きトーキー長編映画紐育の灯』を製作し成功収めた1929年テクニカラー使用したエロ大行進曲(On with the Show)』を製作、それまで二色カラー映画無声テクニカラー映画発表されていたが、全編音声付・全編カラー映画はこれが最初だった。同年同様のカラー映画ブロードウェイ黄金時代Gold Diggers of Broadway)』を製作しこの年一番の人気博し1939年まで各地劇場続映され続けるほどのヒットになった。これ以後1931年までの間に数多くカラー映画製作したが、各地観客ミュージカル映画飽きてしまい、各社カラー映画の製作を行わなくなったため、ワーナー多くミュージカル映画の製作を中止し、すでに製作した映画コメディとして宣伝するはめとなったが、テクニカラー社と、あと2本カラー映画製作する契約残ってしまっていたため、ミステリー映画初のカラー作品ドクターXDoctor X)』(1932年)と『肉の蝋人形Mystery of the Wax Museum)』(1933年)が製作された。

※この「トーキーとカラー映画の導入」の解説は、「ワーナー・ブラザース」の解説の一部です。
「トーキーとカラー映画の導入」を含む「ワーナー・ブラザース」の記事については、「ワーナー・ブラザース」の概要を参照ください。

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