トーキーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:03 UTC 版)
1930年代には、アデマル・ゴンザーガ監督、カルメン・ミランダ主演の『アロー・アロー・ブラジル』(1934)が国際的に成功した。 1940年代から1950年代にかけてはハリウッド映画が国内で影響力を保った。1941年(昭和16年)、映画製作会社アトランティダ・シネマトグラフィカが設立される。1949年(昭和24年)には、映画製作会社ヴェラ・クルス映画社がサンパウロに設立されるが、1954年(昭和29年)には破産する。 1950年代には国際的に評価を集めたリマ・バヘット監督の『カンガセイロ』(1952)や、後のシネマ・ノーヴォ運動に繋がるネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の『リオ40度』(1955)などが製作された。しかし、国産映画に比べてハリウッド映画の影響力は圧倒的だった。
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