ニタ・ナルディとは? わかりやすく解説

ニタ・ナルディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 13:50 UTC 版)

ニタ・ナルディ
Nita Naldi
本名 Mary Nonna Dooley
生年月日 (1894-11-13) 1894年11月13日
没年月日 (1961-02-17) 1961年2月17日(66歳没)
出生地 ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国
配偶者 シール・バックレイ (1929-1945)
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ニタ・ナルディNita Naldi1894年11月13日 - 1961年2月17日)は、アメリカ合衆国女優サイレント映画期に最も成功したヴァンプ(毒婦)女優の一人。

生涯

本名はメアリー・ノナ・ドゥーリー(Mary Nonna Dooley)。アイルランドイタリアの血を引く両親のもとに、ニューヨーク市にて生まれる。ジーグフェルド・フォリーズでプロとして活動を始めた。その時に芸名を、アイリッシュの姓ドゥーリーからより異国的な響きを持つナルディ(幼年期の友人の姓リナルディにちなむ)に変えた。

1919年、ジョン・バリモアが彼女のエキゾティックな容姿に目をつけ、ニタはすぐにパラマウント社と契約した。バリモアに推薦され、1920年の『狂える悪魔』(Dr.Jekyll and Mr.Hyde)でデビュー。男を狂わせ堕落させるヴァンプのキャラクターを演じることで人気が出、同じくヴァンプ女優であったセダ・バラと競い合った。

最も記念すべき作品は、1922年にルドルフ・ヴァレンティノと共演した『血と砂』(Blood and Sand)である。この作品が大ヒットし、ヴァレンティノとは以後3作品で共演した。

トーキーの時代になると、世界大恐慌もありヴァンプ女優として飽きられてしまい、1929年にシール・バックレイと結婚してほぼ引退状態になった。以後、マイナーな作品や舞台にぽつぽつと出演し続けた。

1961年に心臓発作で死去。

映画出演作品

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