トーキー映画の時代へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:28 UTC 版)
1931年(昭和6年)、五所監督による日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』に主演し、その甘ったるい声で全国の映画ファンを魅了した。また同作で抜群の記憶力と勘の良さで自在にセリフを操った絹代は、それ以降サイレント映画の主役たちに取って代わるようになる。1932年(昭和7年)、野村監督の『金色夜叉』で下加茂の大スター林長二郎と共演、二人による貫一・お宮で評判を呼び、どこの劇場も満員札止めの大盛況となるほどの人気作となった。ほか、五所監督『伊豆の踊子』『人生のお荷物』、島津監督『春琴抄 お琴と佐助』などに主演していき、トーキー時代も蒲田の看板スターとして在り続けた。1933年(昭和8年)1月に大幹部待遇、1935年(昭和10年)に大幹部となった。 1936年(昭和11年)1月15日に撮影所が蒲田から大船に移転してからも、松竹三羽烏の上原謙、佐野周二、佐分利信らを相手役として、次々と作品でヒロインを演じた。特に1938年(昭和13年)に上原と共演した野村浩将監督のメロドラマ『愛染かつら』は空前の大ヒットを記録し、その後4本の続編が製作された。一部マスコミでは、「“田中絹代”という女優を日本中の誰もが知るようになったのは、『愛染かつら』シリーズに出演してから」と位置づけられている。1940年(昭和15年)には溝口健二監督の『浪花女』に主演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自らも演技に自信を深めた。
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