偕楽園開園
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1842年(天保13年)7月1日に千波湖を見下ろす湖北西の崖上に偕楽園が開園した。これにより千波湖は偕楽園の借景として欠かせない存在となり、景観的、歴史的価値が付与された湖沼となった。偕楽園の創設者である徳川斉昭が記した偕楽園の創設趣旨記である『偕楽園記』では、園の開設地決定において千波湖が要素の一つであったことを示す一文が以下のように記されている。 余嘗て吾が藩に就き、山川を跋渉し、原野を周視するに、城西に直りて闓豁の地有り、西は筑峰を望み、南は仙湖に臨む。凡そ城南の勝景、皆な一瞬の間に集まる。 — 徳川斉昭、『偕楽園記』(読み下し 水戸市史中巻(3) 204-210頁) 私(=斉昭)は嘗て領内を巡った時、水戸城の西に広々と開けた山谷が有り、そこは筑波山を望み千波湖に面した、城南の優れた景色が一望に出来る地であった、との意である。 偕楽園直下の千波湖岸には舟着場が設けられ、千波湖から舟で直接乗り入れられるようになっていた。
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