歴史的価値
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ミグアシャ地方はケベック州のガスペ半島に位置するが、遠くでアパラチア山脈の若い山々が聳えはじめていた3億7000万年前には、この一帯の河口は赤道近くにあった。 その河口の縁で、サソリやその他の陸棲節足動物が生息する原生林が生い茂っていた。河口部では、流れや潮に身を任せて様々な魚類がぬるま湯のような温度の水中に生息していた。魚類には硬い棘を与えられていた種もあったし、外骨格の殻に守られている種もあった。また、分裂して対になったヒレや肺を具えた種もあり、短時間なら水の外に出ることが可能になった。この対鰭の具有が進化の最も重要な段階の一つであり、魚類と四肢動物を橋渡しするものとなった。 脊椎動物の進化の中に刻まれたこの出来事は、エスクミナック層(« formation d'Escuminac »)と呼ばれる地層によって、今日知ることができている。この地層は、ケベックのシャルール湾(Baie des Chaleurs)の河口部分にあたる、ガスペ半島南岸沿いの断崖に残っている。 最初の化石発見は1842年のことで、ケロシンの発明者でもあるエイブラハム・ゲスナー(Abraham Pineo Gesner)によるものであった。それ以来、今日までに、エスクミナック層では、3億7000万年前に海岸付近で生息していた21種ほどの魚類とその他いくらかの脊椎動物、そして10種程度の植物の化石が産している。この場所で発見された魚類の化石には、6つに大別されるデボン紀に生息していた魚類のうちの5つが含まれている。つまり、地球史において「魚の時代」とも呼ばれるデボン紀を知る上で、ミグアシャから得られる知見は最も代表的なものと言えるのである。 ミグアシャの産地としての知名度は化石保存状況の質と量の双方に拠る。量の面で言えば、1998年に纏められた産出化石の一覧には、ガスペの断崖から発見された化石が実に14200点以上挙げられている。その半分は国立公園のコレクションに加えられ、残りは9箇国の博物館、大学、研究所など計33箇所に送られた。 保存状況の質的側面でも、ミグアシャで産出する化石は高く評価されている。完全な標本や三次元的な標本が見つかるというだけでなく、軟骨のような柔らかい部位の化石、糞、鰓の痕跡、血管や神経の痕跡なども見つかっているのである。
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歴史的価値
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「エレファンティネ・パピルス」の記事における「歴史的価値」の解説
エレファンティネ・パピルスは現存するいかなるヘブライ語聖書写本よりも古く、したがって紀元前5世紀にユダヤ教がどのように実践されていたかについて、非常に重要な知識の片鱗を学者に与えてくれる。パピルスは、紀元前400年ごろに多神教を信仰し、書かれたトーラーの知識を持たなかったと考えられるユダヤ人の一派が存在した明らかな証拠を示す。 これらの文書から我々が学んだところでは、モーセは存在せず、エジプトでの束縛もなく、出エジプトもなく、ダビデの王国もなく、預言者もいなかったようである。ほかの部族に関する記述もなく、ユダの地の遺産に関するいかなる主張もない。植民者の数多くの名前のうち、モーセ五書や初期文献に記録されているユダヤ人の過去から受けつがれたアブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、サムエル、ダビデなどの、後の時代には非常に一般的になった名前を持つ人はいない(ネヘミヤもいない)。ほとんど信じられないことだが、事実である。 — アーサー・カウリー『紀元前5世紀のアラム語パピルス』p.23。 パピルスが述べている同様に重要な事実は、エレファンティネにあった小さなユダヤ神殿の存在で、紀元前411年という遅い時代にあって捧げ物や動物犠牲を捧げるための祭壇を持っていた。このような神殿は「申命記」12章に定められた「神殿はエルサレムの外に建てられてはならない」という法に対する明らかな違反である:31。その上パピルスによればエレファンティネのユダヤ人たちはエルサレムの大祭司に手紙を送って神殿の再建を要求しており、当時のエルサレム神殿の祭司が「申命記」の法を強制されなかったことを示唆しているようである。 エレファンティネの神殿が異端と考えられていたという疑いをはさむ如何なる余地も存在しない。もし彼らがそのことに疑念を抱いていたならばエルサレムの大祭司に訴えることはなかったはずである。逆に、彼らは自身の神殿を持つことを誇りに思っていて、Ya'u(ヤハウェ、誓願の中で他の神については言及されていない)の敬虔な帰依者として神殿の破壊によってもたらされる宗教的機会の喪失を真剣に嘆いているという印象を受ける。 — アーサー・カウリー『紀元前5世紀のアラム語パピルス』p.20。 ユダヤ教の発達とヘブライ語聖書の時代に関する一般的に受け入れられたモデルでは、これらのパピルスが書かれた時代には一神教とトーラーが充分に成立していなければならず、パピルスの内容はこのモデルと矛盾するように見える。大部分の学者は、この明らかな食い違いを、エレファンティネのユダヤ人が何世紀も前のユダヤ人の宗教実践の孤立した残存者であるか:32、またはトーラーは当時ようやく広まりつつあったとして理論的に説明している。 しかし近年、Niels Peter Lemche、Philippe Wajdenbaum、Russell Gmirkin、Thomas L. Thompsonらの学者は、紀元前400年以前のユダヤ人文化に一神教とトーラーが存在しえなかったことをエレファンティネ・パピルスは示しており、したがってトーラーはおそらく紀元前4-3世紀のヘレニズム時代に成立したと考えられると主張している:32ff。
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