歴史的位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 02:28 UTC 版)
ジャーヒリーヤ時代は、イスラームが登場する前段階としてその文化的素地を形成していた時代でもあるが、イスラーム時代以降に記録されるようになるジャーヒリーヤ時代のアラブの詩人たちが詩によって残した事績の多くは、おおよそ5世紀半ば以降のものを指すものが多い。ジャーヒリーヤ時代に関する情報の多くはイスラーム時代以前にアラビア半島の各地で活躍した詩人たちが詠った詩の数々によって知られている。モチーフとなったものは、恋愛や旅、勇敢さや寛大さなどアラブの男らしさを尊ぶムルーワ( مروءة murū'a, مروة murūwa)について扱ったものや、さらには部族間抗争など、当時のアラブ遊牧民、ベドウィンの価値観を讃美する内容であった。これらのジャーヒリーヤ詩は後世の創作とする説も根強いが、このようなアラブ詩人たちの広範囲に渡る活躍によって、アラビア半島全体で共通語としてのアラビア語の形成が促され、アラブとしての一体感が強められたと言われている。後述するラフム朝やガッサーン朝などのアラブ地方王朝の宮廷や部族の根拠地では秀でた詩人の保護に積極的であったため、イスラーム時代に入ってアラビア語による文学が書写され始めると、伝承や詩文などを通じてこれらの王朝の歴史も記録されるようになった。
※この「歴史的位置づけ」の解説は、「ジャーヒリーヤ」の解説の一部です。
「歴史的位置づけ」を含む「ジャーヒリーヤ」の記事については、「ジャーヒリーヤ」の概要を参照ください。
- 歴史的位置づけのページへのリンク