吉田拓郎の公演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/06 17:42 UTC 版)
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吉田拓郎の公演では、吉田拓郎がこれまで開催したコンサートやコンサートツアー、並びにゲスト出演したコンサートについて記述する。
目次
- 1 単発公演・ゲスト出演
- 2 主な全国ツアー
- 3 スペシャルライブ・オールナイトコンサート
- 4 脚注
- 5 参考文献
単発公演・ゲスト出演
1970年代
- 6月 - 『広島フォーク村アルバム発売記念コンサート』が東京厚生年金会館[1]で開催。
- 6月 - 新宿のアングラ劇場「蠍座」でミニ・コンサート。
- 8月 - 『第1回日本語のろっくとふぉーくのコンサート』(日比谷野外音楽堂)出演。頭脳警察、はっぴいえんど他と共演。
- 9月16日 - 『小室等コンサート』(東京厚生年金会館)にゲスト出演。
- 9月19日 - 『東海ラジオ1万人集会』(愛知県体育館)にゲスト出演。
- 10月28日 - 『70年フォークからロックへコンサート』(東京・虎ノ門ホール)出演。六文銭、岡林信康、ソルティーシュガー、頭脳警察、南正人、ヒデとロザンナほかと共演。
- 10月 - 『よしだたくろう単独リサイタル』開催。ゲストははしだのりひこ。
- 12月13日 - 『「はしだのりひことクライマックス」結成コンサート』にゲスト出演。
- 12月31日〜翌年1月1日 - 『IBCオールナイトコンサート』(IBC第2スタジオ)出演[注釈 1]。
- 1月23日 - 『第1回マンスリー・コンサート』(東京・紀伊國屋ホール)開催。ゲストは中沢厚子、マックス。
- 2月19日 - 『第2回マンスリー・コンサート』開催。
- 3月 - 『第3回マンスリー・コンサート』(東京・安田生命ホール)開催。
- 4月19日 - 『第4回マンスリー・コンサート』(東京厚生年金会館小ホール)開催。
- 3月から 5ヶ月間、広島時代のバンド仲間と3人組のミニバンド[6]でコンサートを行う。
- 5月3日 - 『豊島園フォーク・カーニバル』(東京・豊島園)出演。
- 5月20日 - 『ウッド・スモッグ』(東京・日比谷野外音楽堂)出演。六文銭、遠藤賢司、加川良、長谷川きよし、加藤登紀子、本田路津子、浅川マキ、赤い鳥、山下洋輔トリオ、ビリー・バンバン、フォー・セインツほかと共演。
- 5月30日 - 『たくろう・六文銭ジョイント・コンサート』(愛知県岡崎市)開催。
- 6月3日 - 『第2回日本語のふぉーくとろっく』(東京・日比谷野外音楽堂)出演。
- 6月27日 - 『第1回ラブラブ・フォーク・カーニバル』(東京・早稲田大学大隈記念講堂)に出演し、司会を務める。高田渡、加川良、遠藤賢司、加藤和彦、小室等と六文銭・浅川マキ・長谷川きよし、ジローズ、ソルティーシュガー・西岡たかしと五つの赤い風船と共演。
- 7月19日 - 長野・飯田高校文化祭に出演。
- 7月24日〜25日 - 『富士・ヤング・フェスティバル』(静岡・富士朝霧高原)出演[注釈 2]。
- 8月7日〜9日 - 『第3回全日本フォークジャンボリー』に出演[7]。このコンサートに於ける拓郎のパフォーマンスは神話化した[8]。
- 当初、拓郎の出演予定は無かったが後から出演が決まった。メインステージとサブステージの分け方や、出演順を巡ってトラブルが繰り返され、拓郎も1日目は3曲しか歌わせてもらえなかった。このコンサートの模様は二つのレコード会社によってレコーディングされ会場内にテレビが持ち込まれていた。
- 2日目の夕方、数百人にも満たないサブステージで演奏をはじめた拓郎がこうした商業主義の乱入に対しさかんにアジり[9]、PAの故障によりノーマイク、ノースピーカーで2時間に亘り「人間なんて」の熱唱を続けるうち熱狂した観客が増え、小室等の「メインステージに行こう!」の言葉が引き金となり観客がメインステージになだれ込んだ。舞台を目がけて花火が打ち込まれ会場は騒然、主催者との討論会となり、そのままコンサートも自然流会してしまった。
- 観客の暴動を恐れた岡林信康が逃げ帰ってしまったため、主役交代を印象付けることとなった[10][11][12]。
- 8月26日 - 『早稲田大学「軽音楽の夕べ」』(早稲田大学体育館)出演。
- 9月20日 - 『よしだたくろうリサイタル[注釈 3]』(広島市公会堂)開催。
- 9月 - 『フォーク収穫祭[注釈 4]』(新宿厚生年金会館小ホール)出演。
- 10月10日 - 『第2回ラブラブ・フォーク・カーニバル[注釈 5]』(東京・日比谷野外音楽堂)出演。
- 10月13日 - 『フォーク・コンサート[注釈 6]』(東京・渋谷公会堂)出演。
- 10月17日 - 『第3回日本語のふぉーくとろっく[注釈 7]』(東京・日比谷野外音楽堂)出演。
- 11月6日 - 『慶應義塾大学[注釈 8]』(東京・慶應義塾大学)出演。
- 1月30日 - 『よしだたくろう・浅川マキ ジョイントコンサート』開催。
- 2月14日 - 『よしだたくろう・小室等と六文銭 コンサート』(山口・萩市民会館)開催。
- 2月 - 『よしだたくろう・山本コウタロー ジョイントコンサート』開催。
- その他小室等のレコーディングライブに高田渡と共にゲスト出演した。
- 1月 - 前年バックバンドを務めた柳田ヒロのグループを発展させ"新六文銭"を結成。
- 2月28日 - 『新六文銭・春のツアー』スタート(7カ所7公演、〜4月20日)。
- 5月23日 - 新六文銭のツアー中に拓郎が逮捕されるという事件が発生(通称:金沢事件)。
- 6月3日 - 釈放の翌日であったが、神田共立講堂のステージに立つ[13]。この日を境に“帰れコール”は消えた[14] [15]。
- 11月26日、27日 - 『よしだたくろう リサイタル』(東京・中野サンプラザ)開催。
- 12月21日 - ライブアルバム『LIVE'73』を発売。
- 12月1日 - 沖縄市営体育館でかぐや姫とジョイントコンサート[16]。沖縄返還後、人気者2組でのコンサートは初めてで人が会場から溢れる。翌年のつま恋は、このコンサートのイメージがあったといわれる[16]。
- 7月26日〜27日 - 愛知県篠島を借り切ってオールナイトコンサートを開催。
- 12月 - 小室等、西岡たかしとともに「10年目のギター」ツアーを実施。
- 12月31日 - 大晦日、急遽日本青年館でライブを開催し、フジテレビで生放送された。
1980年代以降
- 6月29日 - 「木田高介・阿部晴彦追悼コンサート」(日比谷野外音楽堂)出演。曲目は「アジアの片隅で」・「スィート・マイ・ベイビー」(南こうせつとのセッション)。「アジアの片隅で」を30分以上歌った。
- 6月30日 - 「夜のヒットスタジオ」出演。曲目は「旅の宿」、「あの娘といい気分」、「いつか夜の雨が」。
- 6月15日 - 国立競技場で5万人の観客を集めて開催された国際青年年 (IYY) 記念イベント"ALL TOGETHER NOW"の企画参加と司会を担当。
- 7月27日〜28日 - 10年ぶり二度目のつま恋オールナイトコンサート『ONE LAST NIGHT IN つま恋』を開催。
- 7月25日〜26日 - 南こうせつ「サマー・ピクニック '87」にゲスト出演。9曲歌い翌年からライブ活動を再開する。
- 12月30日 - 「夜のヒットスタジオDELUXE」出演。THE ALFEEをバックコーラスに従え、「アジアの片隅で」を披露。
- 7月26日 - 『JT SUPER SOUND '90』(横浜アリーナ)出演。
- 8月11日〜12日 - 『第10回 南こうせつ サマーピクニック FINAL』(福岡シーサイドももち特設ステージ)出演。
- 8月19日 - 『軽井沢音楽祭 '90 武田鉄矢 サロンコンサート』にスペシャルゲストとして出演。
- 12月12日 - 「ダウンタウンズ再結成ライブ」(広島KENTOS)出演。
- 10月13日 - NHK101スタジオにてライブを行う。
- 12月1日 - 『Act Against AIDS '93』(名古屋レインボーホール)出演。
- 3月13日 - 『長崎・普賢岳噴火災害救済チャリティーコンサート“メッセージソングの日”』(長崎市公会堂)出演。
- 8月16日 - 『日本をすくえ'94 〜奥尻島、島原・深江地区救済コンサート〜』(日本武道館)出演。
- 12月31日 - 『第45回NHK紅白歌合戦』に初出場。
- バックバンドは宮川泰(キーボード)、日野皓正(トランペット)、日野元彦(ドラム)、大西順子(ピアノ)、石川鷹彦(アコースティックギター)、渡辺香津美(エレキギター)、金沢英明(ウッドベース)、吉田建(ベース)、さらにバックコーラスとして五木ひろし、森進一、前川清という豪華の顔ぶれのステージとなった。
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1994年(平成6年)/第45回 | 初 | 外は白い雪の夜 | 11/25 | 松田聖子(10) |
- 9月14日〜15日、『阪神・淡路大震災救済支援コンサート“日本をすくえ'96”』(神戸ワールド記念ホール)出演。
- 8月25日 - 「坂崎幸之助のお台場フォーク村」(BSフジ)放映。アルフィーと共演。曲目は「雨」「高円寺」「馬」「ガラスの言葉」「君に会ってからというものの僕は」「ある雨の日の情景」「どうしてこんなに悲しいんだろう」。
- 9月23日 - 31年ぶりにつま恋でかぐや姫とのコンサート『吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋 2006』を開催。
- 3月22日 - NHK BS『大いなる明日へ ~復活!吉田拓郎~ 』放映。
主な全国ツアー
年表
- 1974年5月 - 『よしだたくろう全国縦断リサイタル '74 (愛奴・春のツアー) 』スタート。
- 1974年- 広島フォーク村の後輩である『愛奴[注釈 9]』をバックバンドに従え春と秋に全国縦断ツアーを敢行[18]。
- 1976年5月 - 『TOUR 1976 ~明日に向って走れ~』スタート(14ヶ所15公演)
- 1978年2月 - 『TOUR 1978 ~大いなる人~』スタート(14ヶ所15公演)
- 1979年6月 - 『TOUR 1979 春のツアー』スタート(15ヶ所15公演)
- 1979年10月 -『TOUR 1979 秋のツアー』(13ヶ所13公演)
- 秋のツアーでアンコールが単なるお約束と化していることに異を唱え、アンコールをやらなかった。しかしこのツアー1回限りだった[19]。
- 同年、春のツアーの自身初の武道館単独公演の一部などを収録したライブアルバム『TAKURO TOUR 1979』と『TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽』を発売。
- 1980年4月15日~7月17日 - 『TOUR 1980 春のツアー』(20カ所20公演)
- 1980年10月13日~1981年1月28日 - 『TOUR 1980 秋のツアー』(21カ所21公演)
- 1981年7月13日~8月11日 - 『TOUR 1981』(7カ所10公演)
- 1982年5月18日~7月27日 - 『TOUR 1982 〜王様達のハイキング〜 春のツアー』(19カ所22公演)
- 1982年9月28日~1983年1月27日 -『TOUR 1982 〜王様達のハイキング〜 秋のツアー』(28カ所31公演)
- 1982年11月21日 - 同年7月、日本武道館で行われたコンサートを収録した『王様達のハイキング・イン・武道館』を発売。
- 1983年5月16日~6月1日 - 『TOUR 1983 〜マラソン〜』(5カ所7公演)
- 1983年11月4日~1984年1月25日 - 『TOUR 1983 〜情熱〜』(23カ所25公演)
- 1984年10月4日~1985年1月16日 - 『TOUR 1984 〜FOREVER YOUNG〜』(17カ所17公演)
- 1988年4月9日~6月10日 - 『サッポロ☆ドライ SATETO 1988』(15カ所16公演)
- 1988年5月27日~6月16日 - ライブハウスツアー『吉田拓郎 LIVE! 1988』(3カ所3公演)
- 名古屋・ハートランド、大阪・バナナホール、東京・日清パワーステーションにて行う。
- 1988年8月27日 大阪城ホールにて『SUMMER CONCERT '88』が行われる。
- 1989年2月8日~3月15日 - 『住友生命 サウンドコミュニケーション 吉田拓郎 TOUR '89』(11カ所12公演)
- 1989年11月21日~1990年1月10日 - 『TOUR '89-'90 〜人間なんて。〜』(17カ所17公演)
- 1990年9月17日~12月22日 - 『TAKURO YOSHIDA LIVE 〜男達の詩〜』(25カ所25公演)
- 1991年6月16日~11月5日 - 『TAKURO YOSHIDA TOUR '91 〜detente〜』(42カ所43公演)
- 1992年8月16日~10月13日 - 『ALONE TAKURO YOSHIDA TOUR '92“90分一本勝負”』(19カ所20公演)
- 1995年9月26日~10月10日 - 『吉田拓郎 TOUR'95〜Long time no see“放っておいてくれて、ありがとう”〜』(7ヶ所7公演)
- 1996年10月4日~11月1日 - 『吉田拓郎 Tour'96 〜感度良好ナイト〜』(10カ所10公演)
- 1998年11月6日 - 『吉田拓郎 Live'98 〜全部だきしめて〜』(10カ所13公演)
- 1999年9月30日~12月11日 - 『吉田拓郎 LIVE'99 〜20世紀・打上げパーティー〜』開始(19公演)
- 2000年7月~10月10日 - 『吉田拓郎 LIVE 〜夏と君と冷したぬき〜』
- 2003年10月19日~12月5日 - 『TAKURO & his BIG GROUP with SEO 〜豊かなる一日〜 』(全国8カ所10公演)
- 2004年3月24日 - 2003年のツアーを収めた2枚組ライブアルバム『豊かなる一日』発売。
- 2004年7月24日 - 『TAKURO & his BIG GROUP with SEO again “This precious story 〜この貴重なる物語〜”』(20公演)
- 2005年8月28日~10月28日 -『TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 〜to be continued〜』開始。(10公演)
- 2006年3月22日 - DVD『TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 Live & His RARE Films』発売。
- 2006年4月1日~4月14日 - 『TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 〜特別追加公演 四国・九州シリーズ〜』(4カ所4公演)
- 2006年10月23日 - 『TAKURO 2006 秋 〜ミノルホド コウベヲタレル イナホカナ〜』 (11公演)
- 2007年8月21日 - 越谷公演を皮切りにツアー『Life is a Voyage TOUR 2007“Country”』
- 2007年12月28日 - DVD+CD+雑文集『歩道橋の上で COUNTRY BACK STAGE DOCUMENT』発売。
- 2009年6月21日~7月4日 - 『Have A Nice Day LIVE 2009』(10ヶ所10公演)4公演はのみ行われる。
よしだたくろう全国縦断リサイタル '74 (愛奴・春のツアー)
日程・開催地
- 1974年5月15日:京都 京都会館
- 1974年5月16日:大阪 大阪厚生年金会館
- 1974年5月17日:愛知 名古屋市公会堂
- 1974年5月21日:東京 渋谷公会堂
- 1974年5月22日:東京 渋谷公会堂
- 1974年5月29日:北海道 釧路市民会館
- 1974年5月30日:北海道 北海道厚生年金会館
- 1974年5月31日:北海道 函館市民会館
- 1974年6月6日 :茨城 茨城県立県民文化センター
- 1974年6月12日:新潟 新潟県民会館
- 1974年6月13日:秋田 秋田県民会館
- 1974年6月14日:青森 青森市文化会館
- 1974年6月19日:広島 広島郵便貯金会館ホール
- 1974年6月20日:岡山 倉敷市民会館
- 1974年6月21日:兵庫 神戸国際会館
- 1974年6月25日:福岡 北九州市立八幡市民会館
- 1974年6月26日:福岡 福岡市民会館
- 1974年6月27日:熊本 熊本市民会館
概要
デビュー後初めて開催された単独コンサートツアーである。日本のファークシンガーとして初の全国ツアー。広島フォーク村の後輩である『愛奴[注釈 10]』をバックバンドに従えた全国縦断ツアー[20]。
セットリスト
- おろかなるひとり言
- ひらひら
- 君去りし後
- むなしさだけがあった
- 親切
- 竜飛崎
- もうすぐ帰るよ
- 祭りのあと
- 落陽
- これからは君の世代だ
- 夏の光の中で
- 今日もまたペニーレインで
- 襟裳岬
- リンゴ
- 夏休み
- 忘れかけた一日
- 野の仏
- シンシア
- イメージの詩
- 私
- 「今日もまたペニーレインで」は、「ペニーレインでバーボン」の原曲。
- 「私」は、「悲しいのは」の原曲。
TOUR 1979 (春のツアー)
日程・開催地
- 1979年6月4日 群馬 群馬県民会館
- 1979年6月5日 新潟県民会館
- 1979年6月22日 大阪 フェスティバルホール
- 1979年6月8日 和歌山 和歌山県民会館
- 1979年6月12日 福岡 九電記念体育館
- 1979年6月17日 北海道 北海道厚生年金会館
- 1979年6月19日 岩手 岩手県民会館
- 1979年6月20日 青森 八戸市公会堂
- 1979年6月24日広島 広島厚生年金会館
- 1979年6月28日 愛媛 松山市民会館
- 1979年6月29日 高知 高知県民文化ホール
- 1979年7月2日東京 日本武道館
- 1979年7月4日静岡 静岡市民文化会館
- 1979年7月5日 石川 金沢市観光会館
概要
吉田自身初の武道館単独公演を含むツアー。
セットリスト
- 知識
- 虹の魚
- されど私の人生
- 舞姫
- 君去りし後
- 親切
- 冷たい雨が降っている
- 英雄
- ひらひら
- 我が身可愛く
- 君が好き~Drms.solo
- 流星
- 爪
- 夏休み
- 狼のブルース
- 外は白い雪の夜
- 祭りのあと
- 準ちゃん
- 僕の唄はサヨナラだけ
- マークⅡ
- かくれましょう
- 落陽
- 僕の一番好きな歌は
アンコール
- 落陽
- 人間なんて
- 7月2日、日本武道館公演のもの。
- 「僕の一番好きな歌は」は、未CD化。
出来事・備考
- 武道館公演は後日FM東京で放送された。
- 武道館、静岡公演の一部がライブアルバム『TAKURO TOUR 1979』と『TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽』として発売。
TOUR 1980 (春のツアー)
日程・開催地
- 1980年4月15日 岡山 岡山市民会館
- 1980年4月16日 広島 広島郵便貯金会館ホール
- 1980年4月22日 京都 京都会館
- 1980年4月23日 静岡 静岡市民文化会館
- 1980年4月26日 東京 八王子市民会館
- 1980年4月29日 東京 渋谷公会堂
- 1980年4月30日 愛知 名古屋市民会館
- 1980年5月8日 宮崎 宮崎市民会館
- 1980年5月10日 福岡 福岡市民会館
- 1980年5月14日 新潟 新潟県民会館
- 1980年5月15日 石川 石川厚生年金会館
- 1980年5月20日 兵庫 神戸国際会館
- 1980年5月21日 大阪 大阪フェスティバルホール
- 1980年5月26日 愛媛 松山市民会館
- 1980年5月28日 高知 高知県民文化ホール
- 1980年6月3日 栃木 宇都宮市民会館
- 1980年6月6日 長崎 長崎市公会堂
- 1980年6月7日 福岡 北九州市立小倉市民会館
- 1980年6月11日 沖縄 那覇市民会館
- 1980年7月17日 東京 日本武道館
概要
ツアースタート時点ではほとんど未発表の楽曲で構成 されたツアー。
セットリスト
- 古いメロディー
- 愛しておやり
- 熱き想いをこめて
- アジアの片隅で
- あの娘を待ってる街角
- Bye Bye Yesterday
- ファミリー
- いつか夜の雨が
- Amの唄(街角)
- 愛の絆を
- ハネムーンへ
- あいつ
- あの娘といい気分
- 街へ
- 又逢おうぜあばよ
- 「Amの唄(街角)」は、未CD化。
FM東京開局10周年記念 吉田拓郎 CONCERT TOUR '80 日本武道館 セットリスト
- ファミリー
- 春だったね
- おきざりにした悲しみは
- ハネムーンへ
- どうしてこんなに悲しいんだろう
- 狼のブルース
- 街へ
- 落陽
- 言葉
- 証明
- ワルツ(二十才のワルツ)
- リンゴ
- 愛の絆を
- マーク2
- 悲しいのは
- いつか夜の雨が
- 外は白い雪の夜
- あの娘といい気分
- アジアの片隅で
アンコール
- いつか夜の雨が
- 7月17日、日本武道館公演のもの。
出来事・備考
- 武道館公演は後日FM東京で放送された。
- 武道館公演で演奏された「ファミリー」、「証明」、「アジアの片隅で」はこの日のライブ録音が後にアルバムやシングルに収録された。 なおこの3曲はスタジオ録音は存在しない。
コンサートツアー1982(王様達のハイキング・春のツアー)
日程・開催地
- 1982年5月18日 東京 八王子市民会館
- 1982年5月19日 神奈川 神奈川県立県民ホール
- 1982年5月25日 栃木 宇都宮市文化会館
- 1982年5月26日 群馬 群馬県民会館
- 1982年5月31日 広島 広島郵便貯金会館ホール
- 1982年6月1日 岡山 倉敷市民会館
- 1982年6月7日 石川 石川厚生年金会館
- 1982年6月8日 新潟 新潟県民会館
- 1982年6月14日 大阪 大阪フェスティバルホール
- 1982年6月15日 大阪 大阪フェスティバルホール
- 1982年6月16日 愛知 名古屋市民会館
- 1982年6月21日 福岡 福岡サンパレスホール
- 1982年6月22日 熊本 熊本市民会館
- 1982年6月26日 高知 高知県民文化ホール
- 1982年6月27日 愛媛 松山市民会館
- 1982年7月6日 愛知 名古屋市民会館
- 1982年7月7日 静岡 静岡市民文化会館
- 1982年7月12日 北海道 北海道厚生年金会館
- 1982年7月13日 北海道 北海道厚生年金会館
- 1982年7月18日 岩手 岩手県民会館
- 1982年7月20日 秋田 秋田県民会館
- 1982年7月27日 東京 日本武道館
概要
公演数が多いツアー。
セットリスト
- 夏休み~春を呼べⅡ
- あの娘といい気分
- 爪
- 王様達のハイキング
- 悲しいのは
- S
- この指とまれ
- 狼のブルース
- 唇をかみしめて
- 落陽
- 外は白い雪の夜
- サマータイムブルースが聴こえる
- 愛してるよ
- アジアの片隅で
アンコール1
- 祭りのあと
- 王様達のハイキング
アンコール2
- 落陽
- 風に吹かれて
- マークⅡ
- このセットリストは7月27日、日本武道館公演のもの。
出来事・備考
- 武道館公演の一部がライブアルバム『王様達のハイキング・イン・武道館』として発売。
住友生命 サウンドコミュニケーション 吉田拓郎コンサートツアー '89
日程・開催地
- 1989年2月8日 :北海道 北海道厚生年金会館
- 1989年2月12日:福島 郡山市民文化センター
- 1989年2月15日:大阪 大阪フェスティバルホール
- 1989年2月16日:大阪 大阪フェスティバルホール
- 1989年2月21日:広島 広島厚生年金会館
- 1989年2月23日:福岡 福岡サンパレスホール
- 1989年2月27日:愛媛 松山市民会館
- 1989年2月28日:高知 高知県民文化ホール
- 1989年3月3日 :長野 長野県民文化会館
- 1989年3月10日:愛知 名古屋市民会館
- 1989年3月12日:静岡 静岡市民文化会館
- 1989年3月15日:東京 東京ドーム
概要
- 住友生命の協賛で行われた。東京ドームで初の公演を行う。東京ドームコンサートの告知TVCMが数種類制作され放映された。
- このコンサートの模様より「ひまわり」「夕陽は逃げ足が速いんだ」のプロモーションビデオを制作、放映された。
- 後に東京ドーム公演を収録したライブビデオ『 '89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”PART1』・『 '89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”PART2』、ライブDVD『'89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”』が発売された。
セットリスト
- チェックインブルース
- パラレル
- 楽園
- 夕陽は逃げ足が速いんだ
- 冬の雨
- Woo Baby
- ひまわり
- 恋唄
- 約束~永遠の地にて~
- ああ、グッと
- シンシア '89
- その人は坂を降りて
- 望みを捨てろ
- 春だったね
- 抱きたい
- 帰路
アンコール
- 六月の雨の中で
- 七つの夜と七つの酒
- ロンリーストリートキャフェ
- この指とまれ
- 英雄
出来事・備考
- 1989年4月16日 - 東京ドーム公演がFM東京で放送された。
- 7月21日 - ライブビデオ『 '89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”PART1』発売。
- 8月21日 - ライブビデオ『 '89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”PART2』発売。
- 2000年 - ライブDVD『'89 TAKURO YOSHIDA“IN BIG EGG”』発売。
Have A Nice Day LIVE 2009
日程・開催地
- 2009年6月21日:愛知 センチュリーホール (名古屋国際会議場)
- 2009年6月25日: 神奈川 神奈川県民ホール
- 2009年6月29日:宮城 東京エレクトロンホール宮城
- 2009年7月4日:東京 東京国際フォーラム
- 2009年7月8日:大阪 グランキューブ大阪
- 2009年7月14日: 福岡サンパレス ホール
- 2009年7月17日:広島 広島厚生年金会館
- 2009年7月21日:神戸 神戸国際会館
- 2009年7月25日:静岡 つま恋 エキジビションホール
- 2009年8月3日:東京 NHKホール
概要
生涯ラストの全国ツアーと称したツアー。
セットリスト
- 無題
- 開場してまもなく演奏されたオープニングサプライズ曲
- 加川良の手紙
- 風の街(inst)
- バックバンドのメンバーを紹介している。
- ウィンブルドンの夢
- 白夜
- 明日の前に
- いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった
- マスターの独り言
- 歩こうね
- 吉田町の唄
- 伽草子
- 俺を許してくれ
- 流星
- マークII
- ひらひら
- 真夜中のタクシー
- フキの唄
- 春だったね
- いつか夜の雨が
- ガンバラナイけどいいでしょう
アンコール
- 早送りのビデオ
- とんとご無沙汰
- ガンバラナイけどいいでしょう ~今日までそして明日から(inst.)
- 名古屋と仙台公演は「無題」の代わりに、「たえなる時に」、「春だったね」の代わりに、「落陽」を演奏した。
出来事・備考
- 2009年6月21日 - 生涯ラストの全国ツアーと称して『Have A Nice Day LIVE 2009』(10ヶ所10公演)をスタート。4公演は滞りなく行われる。
- 7月8日 - 大阪公演の約45分前に体調不良を訴え公演中止が決定した。診察の結果、慢性気管支炎の悪化で約2週間の自宅療養が必要との診断を受け、福岡、広島、神戸の3公演は中止となった。
- 7月22日 - 残り2公演(つま恋と東京)について開催に向けて準備している旨を発表する。
- 7月23日 - つま恋へ移動する車中で体調の異変を訴え、その日の内に残り2公演の中止が決定。「最終となるツアーがこのような結末となり本当に無念であります」という一文で始まるコメントを発表した[21]。
- 11月11日 - このツアーの結果的に最後の公演になってしまった2009年7月4日、東京国際フォーラムでのライブを収録したライブアルバム『18時開演〜TAKURO YOSHIDA LIVE at TOKYO INTERNATIONAL FORUM〜』発売。
スペシャルライブ・オールナイトコンサート
吉田拓郎 リサイタル
日程・開催地
概要
高中正義、常富喜雄、石川鷹彦、松任谷正隆、岡沢章、田中清司といった面々に加えて、ブラスとストリングスをバックにして臨んだ初めてのコンサート。 このライブで歌われた楽曲は大半が新曲。まだステージで一度も歌ったことのない新曲をライブで披露するという試みも前例のないものであった[22]。
セットリスト
- 春だったね
- せんこう花火
- マークⅡ
- ともだち
- 君去りし後
- 都万の秋
- こうき心
- 雨が空から降れば
- むなしさだけがあった
- 子供に
- 新しい朝
- 旅の宿
- 心臓の歌
- ルームライト
- 祭りのあと
- パフ with猫
- 早稲田大学応援歌 byサポートメンバー
- ある雨の日の情景
- 金曜日の朝
- 晩餐
- 野の仏
- 襟裳岬
- ビートルズが教えてくれた
- 落陽
- 君が好き
- ひらひら
- 望みを捨てろ
出来事・備考
同年12月21日にこの二日間の公演の一部を収録したライブアルバム『LIVE'73』を発売。本格的なブラス、ストリングスを加えて行われたライブを収録したこのアルバムは日本のレコード史上最初の本格的なライヴアルバムともいわれる[23]。
吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋
日程・開催地
概要
日本ではこれ以前のコンサートでもオムニバス形式(多数の出演者)やオールナイトで行われたコンサートはあったが、観客は数千人から多くて1万人程度であった。このコンサートのように単独に近いアーティストで、5万人以上(警察発表7万5千人、チケット印刷7万4千枚[24]というのは画期的なものだった[25][26]。チケット発売枚数推定5万6千人[注釈 11])を動員した大規模なものは前例がなく、これも大規模野外コンサートという、現在では珍しくない一つの形式を作ることとなった[27]。
セットリスト
- 吉田拓郎 1st.Stage(PM5:10~PM6:20)
- あゝ青春
- 花酔曲
- 暮らし
- 春だったね
- おきざりにした悲しみは
- むなしさだけがあった
- やせっぽちのブルース
- 春の風が吹いていたら
- 今日までそして明日から
- 暑中見舞い
- 都万の秋
- 夕立ち
- おはよう
- ペニーレインでバーボン
- 人生を語らず
- いつか街であったなら
- 世捨人唄
- 贈り物
- 戻ってきた恋人
- イメージの詩
- 吉田拓郎 2nd.Stage(PM9:00~PM10:30)
- 夏休み
- まにあうかもしれない
- 旅の宿
- どうしてこんなに悲しいんだろう
- 結婚しようよ
- 知識
- おやじの唄
- 私の足音
- 僕のエピローグ
- ひらひら
- 野の仏
- さすらい時代
- 金曜日の朝
- 伽草子
- 襟裳岬
- 親切
- 三軒目の店ごと
- ともだち
- シンシア
- せんこう花火
- されど私の人生
- 吉田拓郎 Last Stage(AM3:00~AM4:35)
- こうき心
- ビートルズが教えてくれた
- たどり着いたらいつも雨ふり
- 君去りし後
- ルームライト
- マークⅡ
- 落陽
- 地下鉄にのって
- からっ風のブルース
- 新しい朝
- 君が好き
- 雪
- となりの町のお嬢さん
- 晩餐
- 明日の前に
- 僕の唄はサヨナラだけ
- 我が良き友よ
- 恋の歌
- 人間なんて (このコンサート全体の最後の曲)
- バックバンド
- 吉田拓郎 1st.Stage チト河内とトランザム
- 吉田拓郎 2nd.Stage 松任谷正隆グループ、荒井由実、ハイ・ファイ・セット
- 吉田拓郎 Last Stage 瀬尾一三オーケストラ
- 3ステージ計60曲演奏した。
出来事・備考
- コンサートの企画、及び運営は、後藤由多加が「ウッドストック」に触発されてユイ音楽工房主導で行ったもの。またこのコンサートの模様を収録したドキュメンタリー映画が作られ、日本全国でフィルム・コンサートという形で上映された。撮影したのは石田弘を中心としたフジテレビの撮影クルー[28]。このドキュメンタリー映画は、現在DVDで発売され視聴可能である。
吉田拓郎 アイランド・コンサート in 篠島
日程・開催地
概要
愛知県の篠島で行われたこのコンサートは一つの離島を借切るというイベントで、日本のコンサートでは史上初の試みであった[注釈 12][29]。先のつま恋と合わせ、常識を覆して深夜に人を集めるという方法で成功を収めた[30]。
セットリスト
- 吉田拓郎 1st.Stage with松任谷グループ
- あゝ青春
- 狼のブルース
- 伽草子
- 親切
- 虹の魚
- されど私の人生
- 襟裳岬
- 結婚しようよ
- まにあうかもしれない
- 歌にはならないけれど
- 吉田拓郎 2nd.Stage with 瀬尾グループ
- 春だったね
- ひとり想えば
- 人生を語らず
- 大いなる
- こんなに抱きしめても
- ビートルズが教えてくれた
- たどり着いたらいつも雨降り
- 今日までそして明日から
- ペニーレインでバーボン
- おいでよ
- 裏街のマリア
- たえこ MY LOVE
- マークⅡ
- 悲しいのは
- 望みを捨てろ
- 乱行
- おろかなるひとりごと
- 晩餐
- 暮らし
- 落陽
- 僕の唄はサヨナラだけ
- 新しい朝
- アイランド
- 吉田拓郎 3rd. Stage 弾き語り
- 私は狂ってる
- こうき心
- ハートブレイクマンション
- 祭りのあと
- ある雨の日の情景
- 僕の一番好きな歌は
- 落陽
- 吉田拓郎 Last Stage with松任谷グループ
- 知識
- イメージの詩
- 流星
- わが身可愛く
- 旅の宿
- 夏休み
- 落陽
- 舞姫
- 君が欲しいよ
- 英雄
- もうすぐ帰るよ
- 冷たい雨があっている
- 爪
- 君が好き
- ひらひら
- 君去りし後
- 外は白い雪の夜
- 落陽
- 人間なんて (このコンサート全体の最後の曲)
- 4ステージ計59曲演奏した。
出来事・備考
たえこMY LOVEの歌の入りがうまくできず イントロをやり直しそれが2回続き3回目でようやくあったためたえこMY LOVEはイントロが3回演奏されている。
デビュー2年目の長渕が一時の拓郎のように「帰れコール」を浴びながら最後までステージを押し通した話は長渕の有名なエピソードである[31]。
- コンサートの模様を収めたライブビデオの監督はつま恋と同じ石田弘[32]。
- 拓郎は当時セイ!ヤングのパーソナリティを務めていたため、同番組でもコンサートが生中継された[33]。
- 同年、このコンサートの一部と武道館公演の一部などを収録したライブアルバム『TAKURO TOUR 1979』と『TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽』を発売。
Hello 80's Good-bye70's SUPER JAM
日程・開催地
概要
- 大晦日、急遽日本青年館で開催されたライブ
セットリスト
- あゝ青春
- 今日までそして明日から
- 狼のブルース
- 爪
- 知識
- わが身可愛く
- イメージの詩
- 冷たい雨が降っている
- 英雄
- 結婚しようよ
- されど私の人生
- 旅の宿
- 花嫁になる君に
- おやじの唄
- 僕の一番好きな歌は
- どうしてこんなに悲しいんだろう
- 一月一日
- リンゴ
- 祭りのあと
- ある雨の日の情景
- 準ちゃん
- 落陽
- 制服
- ペニーレインでバーボン
- Fの歌
- ひらひら
- 君去りし後
- 外は白い雪の夜
- 人間なんてinst.~落陽
- ファミリー
出来事・備考
- 「制服」~「ファミリー」が、フジテレビで生中継された。
- 「Fの歌」は、「あの娘といい気分」の原曲。
ONE LAST NIGHT IN つま恋
日程・開催地
概要
- 10年ぶり二度目のつま恋オールナイトコンサート
- このコンサートをもって吉田はライブ活動を一時休止した。
セットリスト
- 吉田拓郎 1st.Stage STAGE-A
- 悲しいのは
- SCANDAL
- 暑中見舞い
- あの娘といい気分
- 誕生日
- I'm In Love
- ハネムーンへ
- 君が欲しいよ
- 友と呼べれば
- 言葉
- 三軒目の店ごと
- サマーピープル
- 祭りのあと
- 大阪行きは何番ホーム
- 僕の唄はサヨナラだけ
- 君が先に背中を
- 春を呼べⅡ
- 今夜も君をこの胸に
- アジアの片隅で
- 吉田拓郎 2nd.Stage STAGE-B
- ひらひら with愛奴
- 野の仏 with愛奴
- シンシア with愛奴
- 吉田拓郎 3rd. Stage STAGE-C
- 夏休み
- 春だったね
- どうしてこんなに悲しいんだろう
- まにあうかもしれない
- やせっぽちのブルース
- パーフェクトブルー
- ビートルズが教えてくれた
- わが身可愛く
- チェックインブルース
- 英雄
- ファミリー
- あゝ青春
- 吉田拓郎 Last Stage STAGE-D
- ガラスの言葉
- リンゴ
- サマータイムブルースが聴こえる
- お前が欲しいだけ
- 虹の魚
- 王様達のハイキング
- いつか夜の雨が
- おきざりにした悲しみは
- 落陽
- いつも見ていたヒロシマ
- 川の流れの如く
- Life
- 知識
- 人生を語らず
- 男と女の関係は
- 7月26日未明
- 俺を愛した馬鹿
- 又逢おうぜあばよ
アンコール
- この指とまれ
- 明日に向かって走れ (このコンサート全体の最後の曲)
- 4ステージ計54曲演奏した。
バックバンドメンバー
バックバンドリーダー
出来事・備考
- 「引退コンサート」と報じられたが、あくまでライブ活動休止で、拓郎本人は一度も現役引退を表明していなかった。
- 同年の9月21日にシングル『風をみたか/夏休み(85.7.27つま恋バージョン)』、ライブアルバム『吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋』発売。またライブビデオも発売された。
- 後日東京FMなどでもライブの模様が放送された。
吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋 2006
日程・開催地
概要
- 2006年9月23日、31年ぶりにつま恋でかぐや姫とのコンサート『吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋 2006』を開催した。
- コンサートは午後1時過ぎから、拓郎とかぐや姫が一緒に歌う『旧友再会・フォーエバーヤング』に始まり5部構成で午後9時30分過ぎまで続くという大イベントであった。
- 構成は1、3、5部が拓郎のステージで、3部ではムッシュかまやつ、5部では中島みゆきが共演した。主催者発表の入場者数は3万5千人だった。
セットリスト
- 吉田拓郎 1st.Stage with拓郎バンド
- 旧友再会フォーエバーヤング withかぐや姫
- ペニーレインでバーボン
- 海を泳ぐ男
- ひらひら
- 寂しき街
- 消えてゆくもの
- ともだち
- 知識
- 生きていなけりゃ
- イメージの詩
- 吉田拓郎 2nd.Stage with瀬尾BAND
- とんとご無沙汰
- 全部だきしめて
- 野の仏
- 唇をかみしめて
- 友あり
- いくつになっても happy birthday
- シンシア withムッシュかまやつ
- 我が良き友よ withムッシュかまやつ
- ファイト
- 吉田拓郎 Last Stage with瀬尾BAND
- あゝ青春
- 虹の魚
- この指とまれ
- ビートルズが教えてくれた
- 言葉
- サマータイムブルースが聴こえる
- 人生を語らず
- 永遠の嘘をついてくれ with中島みゆき
- 外は白い雪の夜
- 僕達はそうやって生きてきた
- 冷たい雨が降っている
- 春だったね
- 落陽
- a day
- 今日までそして明日から
アンコール
- 聖なる場所に祝福を (このコンサート全体の最後の曲)
- 3ステージ計35曲演奏した。
バックバンドメンバー
Concert Master
- 瀬尾一三 (せおいちぞう)
Drums
- 島村英二 (しまむらえいじ)
Bass
- 富倉安生 (とみくらやすお)
Guitar
- 土方隆行 (ひじかたたかゆき)
- 古川望 (ふるかわのぞみ)
Keyboards
- エルトン永田 (えるとんながた)
- 佐藤準 (さとうじゅん)
Chorus
Saxophone
- 中村哲 (なかむらさとし)
Trombone
- 清岡太郎 (きよおかたろう)
Trumpet
- 西村浩二 (にしむらこうじ)
- 鈴木正則 (すずきまさのり)
Violin
- 伊能修 (いよくおさむ)
- 高橋洋子 (たかはしようこ)
- 丸山美里 (まるやまみさと)
- 武藤宏樹 (むとうひろき)
- 牛山玲名 (うしやまれいな)
- 氏川恵美子 (うじかわえみこ)
Cello
- 岩永知樹 (いわながともき)
- 友納真緒 (とものうまお)
出来事・備考
- このコンサートはこの年を象徴する出来事として、一般新聞の一面でもとりあげられるほどの社会的関心を呼んだ。それは音楽という範囲にとどまらず、昨今の「団塊の世代」を中心としたシニア層の動きを代表する実例ともいわれた[25][37]。
- 同年12月 - このコンサートを特別編集した3枚組DVD『Forever Young Concert in つま恋 2006』発売。
脚注
注釈
- ^ 31日に4時間、1日に2時間のステージを行った
- ^ 加藤登紀子、本田路津子、赤い鳥、、フォーセインツ、ビリーバンバンほかと共演。
- ^ ゲストは高田渡、小室等と六文銭。
- ^ 高田渡、泉谷しげる、古井戸、RCサクセションと共演。
- ^ 六文銭、かぐや姫、ジローズ、シュリークス、五つの赤い風船、長谷川きよし、山本コウタローほかと共演。
- ^ ジローズ、オフコースほかと共演
- ^ かまやつひろし、六文銭、加川良、はっぴいえんど、頭脳警察、RCサクセション、エム、金延幸子、加橋かつみ、ゲッセマネ、成田賢、町田義人、南正人、鈴木ヒロミツ、乱魔堂他と共演。
- ^ 三田祭頭脳警察、村八分、はっぴいえんどと共演。
- ^ 浜田省吾らがいた
- ^ 浜田省吾らがいた
- ^ 現在のようなチケットの販売システムもない時代、チケットは一律2500円で全国のイベンターに販売してもらいバスツアーを組んだものと、スタッフが東海道本線の沿線駅前のレコード店や喫茶店を手分けしてまわって置いてもらったものがあった。正確な観客数が定かでないのは、売られたチケットが回収できなかった分が多かったため(AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、朝日新聞社、p46、田家秀樹 2007, p. 193)。
- ^ 外国ではイギリスのワイト島フェスティバルが有名。
出典
- ^ NHK BSオンライン
- ^ 別冊宝島編集部 2006, p. 77.
- ^ 「音楽文化・産業論 2008 I」 講師:後藤由多加 「インディーズ創世記」
- ^ 夢のあがり―ニューミュージックの仕掛人たち―1983年4月、富澤一誠著、音楽之友社、p41-42、51-52
- ^ 吉田拓郎 1980, p. 32.
- ^ 拓郎は1月から東京でマンスリーコンサートを行った。第1回紀伊国屋ホールから毎回会場を変え、第2回までのバックバンドはマックスだった。第3回目から登場し以後5ヶ月間活動を共にしたのがミニバンド。ライブアルバム『よしだたくろう・オンステージ ともだち』の音源はミニバンドによるもの(気ままな絵日記、p183、184、187、田家秀樹 1994, p. 10)。
- ^ '09 椛の湖 FOLK JAMBOREE : 71年フォークジャンボリー( 吉田拓郎)
- ^ 「隔週刊 青春のうた ベストコレクション2」 デアゴスティーニ・ジャパン、2006年3月14日、p20
ナタリー - 日本初フェス「フォークジャンボリー」映画40年ぶりDVD化
あの「中津川フォークジャンボリー」38年ぶり復活へ - ^ はっぴいえんど伝説、1983年、萩原健太、八曜社、p72-73
松本隆対談集 KAZEMACHI CAFE、ぴあ、p114 - ^ 吉田拓郎 1980, pp. 22-32
日本の若者音楽文化の分岐点と生活意識の変容 -フォークからニューミュージックへ- 南田勝也
FM雑誌と僕らの80年代、恩蔵茂、2009年、河出書房新社、p40 - ^ あの歌 この歌 こぼれ話、長田暁二、全音楽譜出版社、2008年、p250、251
- ^ 樋口了一インタビュー
- ^ いろいろな圧力があったが、コンサートの後援で入っていたニッポン放送の亀淵昭信が最後まで「拓郎を信じる」といって頑張ってくれたのが中止にならなかった理由という(シンコーミュージック 2007, p. 126)。ただし、亀淵は自身が担当した「オールナイトニッポン」で拓郎の曲をかけなかったことで知られる。(亀淵昭信のオールナイトニッポン 35年目のリクエスト、2006年、亀淵昭信、白泉社、p31、32)。
上柳昌彦のお早うGood Day! AMラジオ 1242 ニッポン放送 - ^ あの日フォークが流れていた、1996年4月・シンコー・ミュージック、p62
読むJ-POP 1945-1999私的全史、p145 - ^ 吉田拓郎 1980, pp. 48-72.
- ^ a b ヤング・ギター・クロニクル, vol. 2『かぐや姫 青春という夢・恋・歌』、p90
- ^ シンコーミュージック 2007, pp. 154-159
- ^ 2009年ツアーパンフレット「Have A Nice Day LIVE2009 吉田拓郎フォト&ロングインタビュー集」p48、49
- ^ 石原信一 1985, p. 140.
- ^ 2009年ツアーパンフレット「Have A Nice Day LIVE2009 吉田拓郎フォト&ロングインタビュー集」p48、49
- ^ [1]
- ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p142-143
- ^ 田家秀樹 2007, p. 31
豊かなる日々 〜吉田拓郎、2003年の全軌跡〜、2004年6月、田家秀樹著、ぴあ、p7 - ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p181
- ^ a b カルチャーエリア - 富澤一誠の55歳の決心! 234~240/ Slownet SNS
- ^ 吉田拓郎 - おんがく日めくり | YAMAHA
- ^ 森永博志のオフィシャルサイト 37
- ^ AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、2006年、朝日新聞社、p47
Musicman'sリレー 石田弘インタビュー - ^ 田家秀樹 2007, pp. 10-11.
- ^ ビジュアル版・人間昭和史⑦ 大衆のアイドル、1986年、講談社、p233
- ^ 俺らの旅はハイウェイ、1990年2月、長渕剛、八曜社、p185-198
吉田拓郎 Island Concert in 篠島 - ^ 田家秀樹 2007, p. 197.
- ^ セイ!ヤング&オールナイトニッポン70年代深夜放送伝説、p29、30
- ^ 音楽界の3大トラブルメーカーは玉置、長渕、拓郎 - ゲンダイネット2010年9月14日
- ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p246-247
- ^ 読むJ-POP 1945-1999私的全史、p222
- ^ 団塊の世代を中心としたシニア層の昨今の動き ニュース-ORICON STYLE
- ^ つま恋で話題呼んだ拓郎は紅白辞退 ニュース-ORICON STYLE。
参考文献
- 吉田拓郎 『ふたたび自分の事は棚に上げて』 小学館〈BIG ORIGINAL BOOKS〉、1994年。 。
- 田家秀樹 『吉田拓郎ヒストリー1970-1993』 ぴあ〈ぴあbook. ぴあmusic collection ; 4〉、1994年1月。
- 音楽出版社編 『吉田拓郎読本』 音楽出版社、2008年。 。
- 矢沢保 『フォーク俺たちのうた』 (改訂新版) あゆみ出版、1980年。 。
- 山本コウタロー 『誰も知らなかった吉田拓郎』 イーストプレス、2009年12月11日。 。
- 坂崎幸之助 『坂崎幸之助のJ-POPスクール』 岩波書店〈岩波アクティブ新書, 60〉、2003年。 。
- シンコーミュージック 『吉田拓郎これが青春』 シンコーミュージック・エンタテイメント〈ヤング・ギター・クロニクル, vol. 1〉、2007年。 。
- 田家秀樹 『吉田拓郎』 TOKYO FM出版〈地球音楽ライブラリー〉、2007年1月15日。 。
- 田家秀樹 『いつも見ていた広島 : ダウンタウンズ物語 : 小説吉田拓郎』 小学館、2007b。 。
- 石原信一 『吉田拓郎挽歌を撃て』 八曜社、1980年。
- 石原信一 『俺たちが愛した拓郎』 八曜社、1985年。 。
- 別冊宝島編集部 『音楽誌が書かないJポップ批評44 拓郎&陽水と「フォーク黄金時代」』 宝島社〈別冊宝島1346〉、2006年8月。 。
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- 吉田拓郎の公演のページへのリンク