レオナルド熊とは? わかりやすく解説

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レオナルド熊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 17:45 UTC 版)

レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 (いのうえ せんぞう)、1935年昭和10年〉6月27日 - 1994年平成6年〉12月11日)は、日本コメディアン俳優石倉三郎と組んだコントコンビラッキーパンチ」「コント・レオナルド」で人気を博した。


注釈

  1. ^ 更に同じ時期に当時の妻とは別れる事になってしまったため、生活保護を受給していた時期もあった。
  2. ^ 石倉は「ラッキーパンチ」(1979年 〜 1980年)の1年弱と、二代目「コント・レオナルド」(1981年 〜 1985年)の4年間熊と一緒であったため、合わせて5年間コンビで活躍したことになる。
  3. ^ 本名の城後光義名義で、熊の弟子を務めていたこともあった。
  4. ^ テレビへ出演する為の便宜上の関係でポール牧の門下入りをし、その際に「ラッキー熊」を命名されている。
  5. ^ 相方の石倉の話によると「熊は持病の結核でしょっちゅう倒れるんですよ。その度に飯が食べれなくて疲れちゃいましてね」と語っている。コンビ解散の際に熊は「あんた、このままだと死んじゃうぜ? もうやめなよ。俺もやめるわ」と話したという。
  6. ^ 石倉三郎とコンビを再結成した1981年当時、熊は既に46歳で芸歴をはじめ下積みも豊富なベテランであり、2人との掛け合いも絶妙であった。
  7. ^ 熊は石倉に許可無く別の弟子を相方にして「コント・レオナルド」名義で内職営業をして私物化したり、さらに石倉に断りも無く割りを多く取っていた。こういう行動が明るみに出て来て石倉は、熊に対して不信感や険悪感を抱く様になった。
  8. ^ コンビ解消後、熊は単独でコメディアン・俳優業を継続した。石倉も俳優・タレントとして現在も活躍中である。
  9. ^ 主な劇団員にはピンクの電話デンジャラス菅原大吉磯野貴理子近藤芳正田根楽子などがいる。
  10. ^ 再婚をした妻と副業を始めたり、元々病弱であるという体調理由もあった。
  11. ^ 当番組の人気コーナーであった「各駅停車路線バスの旅」の3代目レポーターをミスターちんと共に担当していた。
  12. ^ ラッキー熊名義で出演。
  13. ^ コントレオナルドとして出演。
  14. ^ コント・レオナルドとして出演。
  15. ^ レオナルド熊が主演した。
  16. ^ 高見知佳、藤島親方(元大関・貴ノ花利彰)と共演。
  17. ^ 伊藤つかさと共演。
  18. ^ 相方の石倉三郎と共演したものもあった。
  19. ^ 1994年に急逝後の翌年、当時子役で活動していた長男の小熊がイメージキャラクターを引き継いだ。

出典

  1. ^ 木村傳兵衛、谷川由布子他『新語・流行語大全 1945→2005 ことばの戦後史』自由国民社2005年、199頁。
  2. ^ 藝能学会編集委員会(編)「記録--受賞・訃報94」『藝能』第1号、藝能学会、1995年3月31日、125頁、NDLJP:4428628/65 


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