日本テレビ放送網とは? わかりやすく解説

にっぽんテレビ‐ほうそうもう〔‐ハウソウマウ〕【日本テレビ放送網】

読み方:にっぽんてれびほうそうもう

東京都港区にあるテレビ局の一。昭和28年(1953)開局で、読売新聞社との関係が深い。報道番組取材配信網として全国系列局NNN形成するコールサインJOAX-DTVから、AXともいう。日テレNTVNippon Television Network)。


日本テレビ放送網

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 22:48 UTC 版)

日本テレビ放送網株式会社(にほんテレビほうそうもう、: Nippon Television Network Corporation)は、日本テレビホールディングスの連結子会社で、関東広域圏放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者。日本国内で最初に開局した民放テレビ局で、日本の民放テレビ局においては歴史が最も古い。一般的には日本テレビ(にほんテレビ)又は日テレ(ニッテレ)と呼ばれる。


注釈

  1. ^ 「日テレ」の略称はそれ以前から内部的に使われており、各局の番組で出演者が日本テレビを指す言葉の中に「日テレ」を使うこともあった。しかし、ベテラン社員の中ではキャンペーンコピーに使われるまで「蔑称」という認識があったという。対外向けへ公式に「日テレ」を使うようになったのはこの頃からである。
  2. ^ 2003年10月1日より。それまでは「ANB」が使用されていた。
  3. ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIAに正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞村山長挙毎日新聞本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 978-4-06-216124-4, Page238, 241)
  4. ^ その関係で、船橋競馬場では、社盃である「日本テレビ盃」が、9月下旬から10月上旬に開催されている。ダートグレード競走特集 - 船橋競馬場ホームページ
  5. ^ 此の時の開票速報の放送時間は投票日当日の午後9時25分から午後11時30分までと、投票日翌日の午前8時から午後6時まで。票数と当確・当選は新聞大手3社からの情報を基にして行われ、スタジオに用意された手書きの候補者名札とハンコで押した候補者得票数が張られたボードをテレビカメラで撮影して行った。
  6. ^ 初めの同実験放送は、同局初のカラーフィルムによる番組、USIS映画『現代のカーボーイ』他、1時間に渡り行われた。
  7. ^ 同日17時20分からの20分間、当時の同社第4スタジオからの放送。カラー実験放送としては同社初の生放送であった。翌週の19日にも同番組が放送された。
  8. ^ 協力した5局は、日本テレビ、読売テレビ、フジテレビ、関西テレビ、東海テレビ。中継車は日テレが5台、他局は各1台ずつ配備をした。中継拠点は、日テレが正田邸前、皇居前、半蔵門(ここのみカラー中継車を使用)、四谷見附・麹町消防署、信濃町慶応大学病院前、青山学院、そして日テレ本社鉄塔上の計7地点(一部拠点は中継車を使わず、日テレ局舎からカメラを直接野外に出して中継)、フジテレビが神宮外苑、読売テレビが東宮仮御所、関西テレビが警視庁、そして東海テレビが四谷三丁目前を各々担当した。尚皇居内は、NHKが代表して取材を担当した。
  9. ^ 同中継車には他にも、3台のモノクロカメラも配置していた。
  10. ^ 値段は当時で約3千数百万円であった。
  11. ^ なお、毎日放送(MBS)のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送のチャンネルは日本テレビと同じ「4」だが、この当時のMBSは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)系列だった。
  12. ^ 13時15分からの『操三番叟』を皮切りに、13時45分からは『カラー秋祭り』、14時55分からは「プロボクシング 世界フェザー級タイトルマッチ『デビー・ムーア高山一夫』」(放送前月(8月)の29日、後楽園特設リングにて収録)、16時15分からは『アラスカの顔』が、17時まで連続して放送された。
  13. ^ これを受け、「私のクイズ」は同月09日放送分から、「歌のグランプリショー」と「底ぬけ脱線ゲーム」は同月11日放送分からカラー化されている。
  14. ^ この特番の内容は、同スタジオからは、14時15分から30分間「雛鶴三番叟」を生中継で、15時25分から80分間、翌月(9月)からレギュラー番組となる「グランドバラエティーショー」のスペシャル版が、公開録画で放送された。更に、日本テレビ本社スタジオからは、14時45分から40分間「舞踊寿くらべ」が録画で、最後に16時45分から40分間、明治座の8月公演からの録画中継で、東映歌舞伎「元禄春夜抄」が放送された。
  15. ^ RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様「4」だが、RKBはTBS系列である。
  16. ^ 日本テレビは同年6月30日と7月01日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、「ビートルズ#日本公演」を参照のこと。
  17. ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映するために、放送権を6億円で購入したとされる(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4-06-212222-7)。
  18. ^ 製作著作クレジットでは背景の格子模様が無いことも多かった。これと併用して関東ローカルなどではブラウン管を象った枠の中にチャンネルナンバーの「4」をモチーフにしたものが入ったロゴマークと社名ロゴタイプの組み合わせもシンボルマーク登場以前から使われていた。こちらも「なんだろう」の登場を機に廃止している。
  19. ^ この日には、キー局では日本テレビの他に、フジテレビ、テレビ朝日、そして東京12チャンネルが、キー局以外にも、朝日放送を始め多くの音声多重放送実施局が、同開票速報にて、同多重放送を行った。
  20. ^ ルックルックこんにちは」、「お昼のワイドショー」、「2時のワイドショー」、「11PM
  21. ^ 2音声多重放送の副音声放送の条件は、放送中のテレビ番組と同時性があり、内容も関連していることである。又、災害に関する情報は、同時性・関連性が無くても認めている。
  22. ^ 主音声は従来の実況で、副音声は阪神ファン向けの実況及び解説となっており、この日の副音声は、解説が村山実、実況は読売テレビのアナウンサーが担当している。
  23. ^ 当初は緑色の体に黒色の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年07月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。
  24. ^ 理由は不明。
  25. ^ 青森放送で当時放送されていた「ZIP!FRIDAY」の最後に流れる翌週月曜日の「ZIP!」の予告でのロゴは、※2019年時点でもこのロゴが使われた。また、ジャイアンツ球場のレフトポール際のフェンスに描かれているロゴも、※2021年9月時点で、このロゴである。
  26. ^ ただし、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記[要出典]。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに貼られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴ(File:Nippon TV logo (NTV).svg)を表記している。
  27. ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年1月01日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は、「55」部分は)に変更された。これは、2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年3月までの限定使用となった。ただし、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。※2008年8月26日の野球中継放送で確認済み。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも、前代のままである。※日テレG+で中継された、2014年の巨人イースタン中継から
  28. ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
  29. ^ 最初の生放送番組は、午前6時45分の「NNNニュースサンデー」。
  30. ^ なお、このバージョンも2013年12月31日をもって使用を終了している。
  31. ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
  32. ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし『24時間テレビ』内のドラマ企画はモノラル二重音声放送のままであったが、2017年よりステレオ二重音声放送に変わった。
  33. ^ ※一部企業を除く
  34. ^ 読売テレビは翌2021年4月1日から
  35. ^ 日本テレビ以外に「放送網」の字が入る放送事業者は、系列局のテレビ新潟放送網とケーブルテレビ局の香川テレビ放送網程度。
  36. ^ 放送収入がフジテレビの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日本テレビは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。
  37. ^ 年間売上高がフジテレビの2014年度:310,012百万円→2015年度:289,708百万円に対し、日本テレビは2014年度:290,460百万円→2015年度:307,077百万円となり逆転した。
  38. ^ このキャンペーンは後に毎年3月8日の「国際女性デー」前後に「#国際女性デーだから(2023年までは「#自分のカラダだから」)」として、日本テレビ以外の在京民放キー局4局並びに東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)も参加している[161]
  39. ^ 日本テレビ担当分は、NNS系列局にもネットした。
  40. ^ 例外として、『アーヤと魔女』は日本放送協会(NHK)での放映履歴がある。これはNHKとその子会社であるNHKエンタープライズ(NEP)が同作品の製作に携わっているため[164][165]
  41. ^ かつては土曜12時台や平日16時台に再放送枠を設けていた。
  42. ^ ザ!鉄腕!DASH!!』の正月特別番組である『ウルトラマンDASH』の1コーナー。
  43. ^ 後にフジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも東京都交通局運営の都営地下鉄日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。情報提供元はジェイアール東日本企画である。私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
  44. ^ 中国本土を除く。
  45. ^ 設置当初は、読売テレビ本社(当時は大阪市北区岩井町)内に支社(当時は大阪支社)が置かれていた。(出典:『民間放送十年史』第2部の各社史録378頁「日本テレビ放送網」)
  46. ^ 1995年まではゴールデンタイムでの全国中継も実施していた。
  47. ^ 同大会の事実上の前身で1981年から2004年まで日本で開催していたトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップトヨタカップ)から放映権を保持している。
  48. ^ NHK・J SPORTSと共同で放映権を獲得。
  49. ^ テレビ朝日と共同で放映権を獲得。
  50. ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が最初となる。
  51. ^ 2020年1月期及び10月期、2021年以降は毎年7月期に読売テレビが制作を担当している。
  52. ^ 過去には大阪の読売テレビ製作のシリーズ(第1・3シリーズ)も存在したが、一般的には日本テレビの製作番組として扱われており、後のスペシャル版は一部を除きすべて日本テレビが製作を担当する。 日本テレビ開局55周年・読売テレビ開局50周年記念番組として両局の共同製作で放送された『ルパン三世VS名探偵コナン』では、『ルパン三世』は日本テレビ側の、『名探偵コナン』は読売テレビ側の番組として扱われていた。
  53. ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
  54. ^ 月 - 金曜版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
  55. ^ 調布市議時代は自民党に所属。参議院議員当選時はみんなの党に所属し、2022年に立憲民主党で任期を終えた。
  56. ^ 開始当初はテレビシリーズの制作局である大阪の読売テレビのみが制作に参加していたが、2002年から日本テレビも制作に参加するようになった。
  57. ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。
  58. ^ この代からCMの最後3秒に番組出演者や映画キャストがフレーズを言うようになった(途中で廃止され、2020年現在はその前の12秒とは別の番宣を3秒入れている)。
  59. ^ CMの最後5秒に番組出演者や映画キャストが「〇〇も日テレ営業中!」とフレーズを言っていた。これを生かして『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』で浜田雅功が罰ゲームを行ったことがある。
  60. ^ 現・国立競技場着工時から2020東京オリンピックパラリンピック終了まで
  61. ^ 旧ザ・ホテルヨコハマ→ザ・ヨコハマノボテル

出典

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日本テレビ放送網

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:35 UTC 版)

劇団四季」の記事における「日本テレビ放送網」の解説

電通運営している専用劇場公演主催名を連ねている。また、同社お天気キャラクターそらジローコラボレーション企画行ったこともある。

※この「日本テレビ放送網」の解説は、「劇団四季」の解説の一部です。
「日本テレビ放送網」を含む「劇団四季」の記事については、「劇団四季」の概要を参照ください。


日本テレビ放送網(日本テレビホールディングス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:31 UTC 版)

放送持株会社」の記事における「日本テレビ放送網(日本テレビホールディングス)」の解説

日本初民放テレビ局である日テレビ放送網(日本テレビ)は在京キー局の中で最も消極的で、2008年3月行われた定例会見で久保伸太郎社長当時)が「現時点必要ない」と消極的な姿勢表明していた。しかし、2012年3月29日同年10月1日をもってBS日本CS日本株式交換経営統合行い同時に4月設立する100%子会社分割準備会社設立した上で分割準備会社放送事業引き継ぐことを取締役会決議した4月26日現業引き継ぐための分割準備会社設立し6月28日行われた株主総会にて賛成多数にて承認された。9月12日認定放送持株会社認定受けたことにより、10月1日に、BS日本シーエス日本株式交換により完全子会社化され、分割準備会社は「(新)日本テレビ放送網」に商号変更し、日本テレビ放送網は「日本テレビホールディングス株式会社」に商号変更認定放送持株会社移行した

※この「日本テレビ放送網(日本テレビホールディングス)」の解説は、「放送持株会社」の解説の一部です。
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日本テレビ放送網

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 06:54 UTC 版)

チェイス 第1章」の記事における「日本テレビ放送網」の解説

清水潔は日本テレビ放送網の『NNNドキュメント』にて足利事件など一連の幼女殺害事件調査報道地道に続けてきたが、日本テレビ放送網も「本ドラマ制作にあたり両社および本ドラマ関係者から、当報道局には一切相談通知もありませんでした」と説明している。そのうえで「本ドラマは、当報道局もとより被害者遺族への連絡取材なども一切無く事件被害者らの描写について多くの点で本件報道類似点のある内容制作配信された」と指摘したうえで「当報道局としては倫理的に著作権法的な見地からも到底看過できません」とのコメント発表し2018年1月アマゾンジャパンとジョーカーフィルムズに対して抗議した

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「日本テレビ放送網」を含む「チェイス 第1章」の記事については、「チェイス 第1章」の概要を参照ください。

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