ちゅうおう‐けいば〔チユウアウ‐〕【中央競馬】
ちゅうおうけいば(中央競馬)
中央競馬
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中央競馬(ちゅうおうけいば、英語: national racing)とは、日本中央競馬会(JRA)が主催する競馬である。1954年9月25日に東京競馬場、京都競馬場において初めて開催された。
- ^ 2006年に競馬法施行規則が改正され、2007年からは1開催における開催日数は8日間を基本としながら最大12日までとなる。ただし、1年間に開催できる日数は原則288日(36開催×8日)に制限されているためある競馬の開催日数を増やすと別の競馬の開催日数を減らすことになる。 2006年までは「1競馬場の1開催8日間」固定であったが、上記の施行規則改正に伴い、2007年は第1回中山競馬・第1回京都競馬が7日、第4回東京競馬・第4回京都競馬が9日で開催されている。他に馬インフルエンザの影響で第2回札幌競馬、第3回新潟競馬、第3回小倉競馬が6日開催となったため第3回福島競馬、第3回中京競馬を10日、第5回東京競馬、第5回京都競馬を9日開催した。従来の施行規則ではこのような対応はできなかった。この施工規定改正前は基本的には、4大主場は年間5開催、その他は年間3開催だったが、規定改正後の現在は中京4開催、札幌・函館・小倉2開催となっている。 2008年は第1回中京競馬、第3回福島競馬を10日、第1回福島競馬、第3回中京競馬を6日開催としている。 2009年は函館競馬場の馬場・施設改修に伴う1年間の開催休止のため平年の第1・2回函館開催と第2回札幌開催の計24日分を他の第3場開催に振り返る処置を取っており、第1・2回中京(1・3月)をそれぞれ6日間=第1回の開催は平年9月の第2回札幌2日分と平年の3月の中京開催から移動した4日分を割り当てた。札幌開催は函館代替16日間と平年の第1回札幌8日間を含めた24日分をまとめて、それぞれ12日間ずつの第1・2回札幌として6 - 9月に開催。9月の第2回札幌残りの6日間は第4回新潟として開催。
- ^ 過去、日曜日に該当した2003年、2008年、2014年は中央競馬の開催を行っていたが、2017年からは曜日に関係なく中央競馬の開催を行う(月曜日となった場合を除く)。
- ^ 2009年、2015年。
- ^ 新潟競馬場の開催が増えるのは札幌競馬場で第2回開催終了後にスタンド改築を含む改修工事を行うため。
- ^ 2004年以後、ハッピーマンデーを利用した9月の敬老の日(年度により10月の体育の日も)のある週を3日間連続開催とする処置をとっており、3場開催である場合、土曜日に関東主場と第3場、日曜日に関東・関西の両主場、月曜日(ハッピーマンデーの祝日)に関西主場と第3場の日程で開催するようになった。上記の詳述のとおり、2012年から第3場を中心とした日程見直しのため、9月のハッピーマンデー時の分割がなくなり、関東・関西両主場での3日間連続開催となった。
- ^ 東京優駿開催日の東京競馬は2001年までは10競走、2002年から2005年までは11競走であった。2006年以降の競馬番組では東京優駿開催日は12競走を編成している。また、有馬記念開催日の中山競馬は2007年までは10競走、2008年から2016年までは11競走であったが、2017年以降は12競走を編成する。
- ^ 11月から1月は日没が早いので若干繰り上がる。
- ^ 北海道2場はここの扱い。
- ^ 1999年は小倉競馬場の改修工事による振替開催により、東日本→西日本→小倉の順。
- ^ ジャパンカップ・有馬記念(2022年まで)の週は日没時間の関係により従来どおりで、東日本(GI開催場)→西日本の順。札幌記念の開催日は、同競走が夏季開催(7 - 9月)に行われる重賞の中で最も格が高いため、GIに準じるものとして、小倉→新潟→札幌の順で発走する。
- ^ 年によっては10月初旬まで。
- ^ 2023年までは1月中旬からであった。年によっては2月から。
- ^ 年によっては11月上旬まで。
- ^ 当初の予定では、翌週に速歩競走廃止記念の特別競走が2レース予定されていたが、中京競馬場の騒乱発生により開催が中止された為、実施されなかった。
- ^ この時に導入されたグレード制はJRAが独自に格付けを行ったもので、ヨーロッパやアメリカの格付け(国際グレード)との互換性はなかった。
- ^ 2007年11月17・18日に福島競馬場で第3回開催の第9・10日、23日に東京・京都両競馬場で第5回開催の第9日、24・25日に中京競馬場で第3回開催の第9・10日が開催されることになった。これに伴い、当初24日(土曜日)に予定されていた京阪杯(京都第11競走)は開催日が1日繰り上がって23日(金曜日・勤労感謝の日)に行われることになった。また23日に競馬が開催されることから、同日に後楽園・新橋・梅田・難波の各ウインズで予定されていたジャパンカップ(25日・東京)の金曜発売は行われないこととなった。ちなみに福島は札幌土・日曜分、東京は新潟日曜分、京都は小倉日曜分、中京は新潟・小倉土曜分のそれぞれ振り替え開催だった。
- ^ 馬券に関してはウインズなどの場外発売は行わず、インターネット投票と電話のみで発売されている[17]。なお、同年7月以降順次一部のウインズなどで場外発売・払い戻しなどを制限付きであるが再開している[18]。
- ^ 首都圏のウインズ等の場外発売所における勝ち馬投票券の発売も取りやめとなる。
- ^ 首都圏のウインズ等の場外発売所における勝ち馬投票券の発売も取りやめとなる。
- ^ 大阪・兵庫・京都・愛知・福岡のウインズ等の場外発売所での勝ち馬投票券の発売も見合わせとなる。
- ^ 競馬の特性上、途中退場する客も多数いることや中央競馬では再入場の際にはあらためて入場券を購入する必要があるため他の競技・イベントなどとは違いこの人員がすべて同じ時間帯に競馬場に入っているわけではない。
- ^ 競馬法および競馬法施行規則の規定により中央競馬が開催できる日は日曜日、土曜日、国民の祝日に関する法律で定められた休日、1月5日から7日のいずれかである。
- ^ 関東で第3場開催および関西で開催が行われる場合も同様に振り替えていた。
- ^ 例:11月23日から25日の東京・京都は順に第9・7・8日目、24・25日の中京は第1・2日ではなく第9・10日としている。ただし電話投票のうち、PAT端末機入力方式のファミリーコンピュータや、文字放送の電波を利用したホームマスターなど一部は、9-12日目の追加分がソフトウェアの都合で情報取得や一部は投票そのものが利用できない場合があった(【重要】PAT端末機でV20のソフトウェアをご利用の方へ)
- ^ 1月の開催を10月に振り替えたのは、例年体育の日にマイルチャンピオンシップ南部杯が開催されることからこの日に東京競馬場で競馬を開催することで東京競馬場および福島競馬場で盛岡競馬の場外発売を行えるようにするためである。他の祝日の開催は相互発売を行わない地方競馬との調整となるため現状では困難である。また脚注15でも紹介したが馬インフルエンザの影響で8月18・19日の札幌・新潟・小倉開催が中止になったことに伴い11月17・18日に福島、23日に東京・京都、24・25日に中京競馬を追加振り替え開催することとなった。ただし開催日表示は従来からの開催日はその日数(日付)をそのまま変更せず、追加開催日の分に第9(10)日目を追加するスケジュールにした[注 24]。
- ^ 但し、阪神競馬場では震災からの再開後「1日2重賞<中山競馬場で予定されていた重賞の代替含む>」となったことから4月中旬まで16:30過ぎに最終競走を行ってはいた。それ以外の期間は年中を通して1日の最終競走の発走時間は基本16:20、G1レース当日は16:25発走で実施した。
- ^ 但し2008年7月からの3連勝単式馬券の全レース発売により2009年は旧八大競走と宝塚記念、ジャパンカップ、ジャパンカップダート、阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯フューチュリティステークス及びJ・GIを除きGI級競走開催日でも最終レースは一般競走となった(2010年からは再び最終レースは特別競走になる)。
- ^ 通常クラシック競走や天皇賞、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念があるときは5競走、他は4競走。
- ^ 15時台の前半 一般には第3場→GI級の行わない主場の順。但し、第3場で行われる高松宮記念開催日は阪神→中山→中京の順〈2012年から適用)。
- ^ ジャパンカップ開催日は東京→京都、12月のGI級開催日は中山→中京→阪神。
- ^ 2013年までは第3場開催は通常通り第5競走終了後に昼休み。2014年から東西主場同様4R終了後になった。
- ^ かつて、国際セリ名簿基準委員会の勧告に従い「JpnI」を使用していたこともあるが、これをグレードワンと呼ぶのは明らかな誤り。正しくはジーワン。
- ^ 改修工事中(現スタンド完成前)の東京競馬場では天皇賞(秋)、ジャパンカップも入場制限が行われた。
- ^ 2005年の有馬記念(中山競馬場)は事前発売の前売券(記念入場券)のみとなり、前売入場券を持っていないと入場することができなかった(回数券による入場もできなかった。なお回数券には入場制限時には使用できない旨の注意書きが書かれている)。これは無敗の三冠馬として絶大な人気を博したディープインパクトが出走を予定しており、中山競馬場における混雑を緩和するための措置である。
- ^ 当初は2008年7月19日から9月7日までの期間限定で全レース発売予定だったが、同年9月1日に9月13日以降の3連単の全レース発売継続を発表した。
- ^ 日曜日の重賞競走では、前日の土曜日から発売される。金曜発売がある一部のGI競走のある週では土曜日に行われる重賞の前日発売も行われる。ただし、これらの前売発売については荒天・降雪などの理由により開催中止のおそれがある場合は発売を中止することがある。
- ^ 本馬場入場曲の発案者は、1948年より東京・中山競馬場の場内で流す音楽を選曲していた四天王長政という人物で、1958年発行の月刊『優駿』に、「メロデーとともに」という題名で当時を回顧した記事が記載されている。
- ^ 「若駒」は、今もばんえい競馬の重賞競走で入場曲として聴く事が出来る。
- ^ 向谷実が京阪本線淀駅(京阪杯が施行される京都競馬場の最寄駅)の発車メロディをモチーフに作曲した楽曲。音楽館が2016年に発売した『京阪電車発車メロディコレクション2016』のボーナストラックにこの曲が収録されている。阪神開催となった2020年は使用せず。現在、重賞競走で特定の楽曲が用いられるのは京阪杯が唯一。
- ^ a b 東京・中山・福島・新潟。
- ^ a b 京都・阪神・中京・小倉。
- ^ a b 札幌・函館。
- ^ 2020年は使用せず。
- ^ 1990年代の一時期には旗を振り回す者が見られ、2000年の宝塚記念に至ってはフリスビーと思しき円盤状の物体が飛ばされた模様が、『DREAM競馬』をはじめとするテレビでの競馬中継の画面に映し出されるシーンが見られた。同番組キャスターだった宮川一朗太が、「物を投げ込むのはやめましょう」と視聴者に注意喚起した事や、井崎脩五郎に至っては「投げた者を特定している」と雑誌で公言したこともある。
- ^ 公営競技の常として、競走の公正が確保されることが順位・投票券を含めて競走を成立させる絶対条件である。裏を返せば、観客の妨害行為で競走の公正が確保できない事態が発生した場合には、その競走を「不成立」として処理しなければならなくなる。
- ^ 初期に使用していたのは、1987年までの京都競馬場の本馬場入場曲であり、後期使用曲も、同じく京都競馬場での全競走における発走ファンファーレであった。
- ^ 阪神競馬場での生演奏の場合、最終小節のメロディーがオリジナルとは異なることがある(近年では、2009年以降の桜花賞が該当)。
- ^ 障害GI(J・GI)は中山競馬場のみで行われているため、事実上「中山」の専用ファンファーレである。
- ^ 作曲はミュージックホーンの製作を担当した小糸工業に依頼された作曲家とされるが、今も名前は伏せられている。
- ^ a b グレード制導入以降のGIも含む。
- ^ 京都・阪神・中京。
- ^ 2005年4月20日にもレーベルをアニプレックス・SUGIレーベルに変えて、さらに2009年8月5日にも移籍先のキングレコードより再発売された。
- ^ 東京・中山。なお2002年・2014年のスプリンターズステークスにおいて中山の代替で開催された新潟でも使用。
- ^ 改装・天災などにより京都の場合あり。
- ^ 一般公募によって最優秀賞に選出され、使用されるようになった。
- ^ 障害競走の開催の無い札幌と函館を除く。
- ^ その際に、「主催はJRA・日本中央競馬会です(でした)」もしくは「この番組は、JRA・日本中央競馬会の主催でお送りします(しました)」といったナレーションが添えられる。
- ^ 令和2年度(2020年度)開催日割および重賞競走について
- ^ 令和2年度の開催日割および重賞競走等の変更について
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- ^ 2016年度の「フリーパスの日」のスケジュールが決定!
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- ^ a b 桜花賞・皐月賞週における馬場入場曲について - JRAニュース(日本中央競馬会)2019年4月1日
- ^ JRAレース動画のネットライブ配信
中央競馬(JRA)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 01:50 UTC 版)
「ウイニング・チケット (漫画)」の記事における「中央競馬(JRA)」の解説
石関 一馬 中央競馬のトップジョッキー。父も天才と言われたジョッキーであり、自身も周囲から天才と評価されている。その実績や騎手としては長身である事など、武豊をモデルとしている節がある。 作中では二階堂のライバルであるエドワードの馬に騎乗する機会が多かったために立場としては敵対関係にあったが、ベンジャミンステークスで中央初挑戦となる木戸に気さくに話しかけるなど、フェアプレー精神を持つ面倒見のよい人物である。そのため、作中ではヨシムネを予後不良に追い込んだ白木の騎乗を激しく咎めるなど、敵役ながらも結果的には駿サイドに利をもたらすような振舞いも目立った。 白木 元(はじめ) 中央競馬の騎手。表情に乏しいことから「サイボーグ」と呼ばれている。 デイリー杯2歳ステークスでヨシムネを予後不良にさせたり、馬群の狭い隙間を割って入ろうとするなどのラフなプレーが多く、騎乗停止の常習犯である。これは数年前のフランス留学で日本流の騎乗スタイルがまるで通用しない事を痛感し、最短距離で馬を走らせる事、そして勝つ事を重要視するヨーロッパ流のスタイルを信条とするようになったことによる。 ストイックにトレーニングをこなして筋力アップしている。このため、馬をまっすぐ走らせること、バテた状態からもうひと踏ん張りさせることにかけては、日本人でもトップクラスの技量を持つ。 また朝日杯FSではヨレてキンタと接触しそうになったブラボーライバルを全身を傾けて強引に進路を修正するなど、アクシデントに即座に対応するセンスも非常に優れている。 父である中の怪我の重さに全く気づかず(本人が元に気づかせないように生活していたのが大きいが)、成績が落ちぶれてなお騎手の職にしがみついていた中を激しく軽蔑し、果ては中に対し面と向かって「早く引退しないのか?」などと悪態をついていた。しかし朝日杯後に実家を訪れた際に初めて中の怪我の重さと現役にこだわっていた理由を祖母から聞いた元は、中の実力に感服すると共に仏前で謝罪した。また、この日から再び実家で暮らし始めた。 若手の頃から騎手業の多忙の合間に北海道の牧場を回り、時に主取りとなった馬などが売れるよう推薦するなど、人知れず業界への貢献をしていた。白木のおかげで主取り馬が売れた牧場主の一人は、白木を「馬を見てわかる騎手」と評していた。 年明けに二階堂ファームを訪れ、朝日杯FSでヨシムネを落馬転倒させた件を駿たちに謝罪した。その際駿は、白木をミカヅキオーの主戦騎手とし片っ端から重賞を勝ってもらう事を償いとして提案し、白木はこれを承諾した。 IIでは小石川厩舎に転厩したキンタの主戦騎手となっている。 単行本16巻で木戸を弟子であると本人も認めている(佐伯も木戸を弟子であると認めている)。 白木 中(あたる) 白木元の父。デビュー年に新人賞を取り、20代の頃まではみるみる勝ち星を量産していた天才騎手だったが、元が生まれた頃の落馬事故によって再起不能と言われるほどの大怪我をした。が、騎手になりたいと言いはじめた元のため、騎乗を身体的負担の少ないソフトなスタイルに変え、それでも避けられない激痛と戦いながら、小石川調教師と母親以外には誰にも怪我を悟らせずに騎手を続けた。 元が騎手になって数年後、引退をかけての大一番として臨もうとした宝塚記念を前に、交通事故により帰らぬ人となった。 植木 修(おさむ) 中央競馬の騎手。小石川(二代目)厩舎所属。先代の小石川政男厩舎時代は白木元の兄弟子だったベテラン。ミカヅキオーの宝塚記念挑戦の時期において駿らを上回る登場機会があり、宝塚記念編の主人公ともいえる立場だった。 石関がスターとなってからもトレセン内ではダントツの評価を得ていた程の実力派だったが、10年前のダービーが原因で深刻なスランプに陥り、以後重賞クラスのお手馬を自ら他の騎手へ回すようになった。これによりたまに騎乗する大きなレースで負け続けては馬主の信頼を失う悪循環が続き、一時期は酒に溺れてしまうまでになっていた。 そのため10年前にピークを過ぎた“早咲きの天才”との評価が世間では定着しており、実際にリーディングも50位以下と、すっかり三流のロートル騎手といった立場に落ち着いていた。だが弟弟子として植木の本当の力を間近で見てきた白木は現在も彼を密かにヒーロー視し続け、復活を願っていた。 久々の再会となった白木と一緒に併せ馬をしていた最中、白木の乗る馬が突然暴れてしまい、白木は落馬、骨折してしまう。白木が自分の怪我を利用して一計を案じたことにより、急遽宝塚記念でミカヅキオーの鞍上に抜擢されることとなった。 40歳にして片腕で懸垂を行える剛腕に加え、宝塚記念では、ラチ沿いすれすれを走らせ続ける技術、落鉄の予兆を感じ取って大惨事を回避する鋭敏な感覚などを見せ、今もなおあらゆる面でトップクラスの実力である事を示してミカヅキオーの初GⅠ制覇に貢献した。 息子の鉄男は小・中と周りに競馬関係者の子供も多い学校に通っていて、植木の成績不振のせいで長い間いじめに遭っていた。が、柔道や勉強で結果を出して自身を権威づけする事で中学3年生時にたった一人でいじめを克服、茨城一の進学校に進学した。その経験から、植木が宝塚記念に出発する直前に交わした会話の中で、植木が精神的に立ち直る決め手となる発言をした。 宝塚記念の表彰式で引退を宣言したが、鉄男、ファンの叱咤によって撤回し、現役続行を表明。以後はかつての植木が戻ったと評判になって騎乗依頼も殺到しているとの事。 IIでは朝日杯フューチュリティステークスでスーパーイチマルに騎乗している。 虎谷 幸一(とらたに こういち) 虎谷翔の父で、東京で土建業『虎谷建設』を営む兼業馬主。態度や行動は常に豪快で、曲がった事を激しく嫌い受けた恩には何としても報いようとする、江戸っ子気質を地で行く人物。 当初は息子の翔に重傷を負わせた駿に激怒し、駿の馬主資格を剥奪しようとさえする強硬姿勢を見せた。しかしその直後、事の発端が翔らの行動でミカヅキオーを骨折させた事にあると知るや、一転して自らも翔を殴りつけたうえ駿に謝罪。最終的には翔が「一人で階段で転んだ」と言い出したのに便乗し、親子で事件をもみ消した。 ミカヅキオーの骨折を大きな借りと考え、ヨシムネの譲渡を持ちかけたり、持ち馬を預けたり、さらには東京から多くの社員を連れて坂路コースの建設に加勢するなど、度々二階堂ファームや駿を助けた。 地元では『土建屋の虎幸』で名が売れているが、本業の評判に反して馬主としての成績は全く振るわず、『500万下の虎幸』と揶揄されてさえいた。馬主を辞めようとしていた折にヨシムネと出会い、紋別畜産から購入して所有する。ヨシムネの活躍で初めてオープン馬のオーナーとなりキンタの共同所有で重賞、GI馬オーナーになった。 ヨシムネを亡くしたショックで馬主を辞める決意を固めたものの、後日、翔の叱咤や駿からキンタの共同所有を持ちかけられてこれを承諾、馬主業を続ける事にした。 初めての重賞の口取りは紋付袴で参加すると決めていて、キンタによってその念願が叶った後も、大レースで競馬場に出向く際はほぼ常に紋付袴を着ている。 駿が中央馬主登録申請をするにあたり二名必要となる現役馬主の推薦人の一人となった。主な所有馬ヨシムネ(父 ブラックマズル) キンタ(二階堂駿と共同所有) 藤原 馬商時代の駿の得意先だった中央の馬主。穏やかな物腰で懐が広い。 駿の中央馬主登録申請にあたり推薦人の一人となった。その際、ミカヅキオーの生産者である山田牧場に駿らを連れ、馬主の責任の重さについて説いた。 日本の馬で国内外のGⅠを勝ちたいという夢を持っている。そのためウイニング・スタッド主催の外国産馬セリへは、開催を知りつつもあえて行かなかった。主な所有馬キタノトケイダイ 熱海 自社ビルを持つ大企業の社長で、兼業馬主。非常に小柄な老人。 団や稲村の頼みや忠告にも耳を貸さずに、自分の一存でロデオを中央に移籍させた件など、最初は人の良さそうな振る舞いをするも、じきに手の平を返したように傲慢な本性を現す。 キンタのラベンダー賞優勝後、5年前に団に殴られた際の診断書をネタに、キンタの函館2歳ステークス出走を取り消すよう団に脅しをかけた。その後団は馬を優先して調教師を辞める決意をしたが、キンタが出走を取り消していない事で再度団に会い脅しをかけた際、一丸がそのやりとりを録音していた事で形勢が一変し、団への脅迫については断念した。 そのかわりに今度は駿へと矛先を向け、2006年セレクトセールのセリでは部下の石井を代理に潤沢な資金を惜しげなくつぎ込んで駿が狙った馬を競り落とし、駿に容赦ない洗礼を浴びせた。 馬に対しても全く愛着を持っている様子はなく、経済動物以上には考えていない事がうかがえる。デイリー杯2歳ステークスではヨシムネを予後不良に追い込み、殺処分直後にもかかわらずただ一人高笑いした。主な所有馬サイバーアタミオー ブラボーライバル 小石川 政男 JRAの調教師。定年のため2006年末をもって引退。某ベテラン俳優に風貌が似ている。 引退記念パーティーにはかつての所属騎手だった白木元も呼んでおり、そこでも公然と父親の中を見下す発言をする白木に怒って殴り、白木の中に対する誤解を解くきっかけを作った。 小石川 小石川政男の息子で、現役のJRA調教師。父親と似た風貌をしている。IIでは二階堂ファームの中央での主戦厩舎である。 大柄 10年前の皐月賞馬マッカートニーのオーナーで、その当時JRAに100頭以上の馬を所有していた大馬主だった。白木によって10年前の植木との一件に関して語られたが本編に直接登場した事はなく、現在はどうなっているか不明。 良くも悪くもダービーを特別視していて、マッカートニーの臆病でパニックを起こしやすい気性に不安をおぼえた植木がダービーでの作戦変更を哀願しても、それに全く耳を貸さなかったばかりか、逆に脅迫めいた言い方で植木に逃げる作戦を強要した。 ダービー後に入院中の植木の見舞いには訪れたが、そこで植木に辛辣な言葉の数々を浴びせた。そののちに植木が所属する小石川厩舎の所有馬を全て転厩させ、さらに植木を非難するあらぬ噂を他の馬主達に吹聴して回った。
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