二階堂ファーム
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「ウイニング・チケット (漫画)」の記事における「二階堂ファーム」の解説
二階堂駿を社長とし、作中の2005年10月に設立された牧場。 なお、二階堂勉が経営していた同名の牧場は以後“旧二階堂ファーム”と表記して区別する。 二階堂 駿 二階堂ファームの社長。地方競馬の馬主であったが団の進言でJRA(中央競馬)馬主ライセンスも取る。現在はいわゆるオーナーブリーダーであるが、ピンフッカー(0~1歳の仔馬を買い付け、育成・調教を行った後馬主に仲介する人物)としても活動している。馬を見ただけでその馬の父馬を言い当てたり、馬の適性を見切って高配当の馬券予想を的中させたりするなど、人並み外れて相馬眼に長けている。これにより馬商(競走馬の仲介を行う家畜商。ただしこれは本作品内でのみ通用している架空の呼称であり、実際の競馬界では馬喰(ばくろう)と呼ばれる。)としての名声は競馬業界でも広く知られ、「日高の風雲児」とも呼ばれている。 実家は北海道日高で三代続く牧場だったが、ウイニング・スタッドの罠により土地を奪われ、父を亡くした。その後は中学卒業まで帯広のおじに面倒を見てもらっていた。そのため早く経済的に自立することを目指し、学業成績は優秀だったにもかかわらず高校進学を希望せず、騎手になるために地方競馬教養センターに入学し騎手デビューした。北関東不動のリーディングジョッキーとして活躍したが、北関東競馬の廃止に伴い、騎手を引退した。 その後、馬商として競馬に携わっていたが、ウイニング・スタッドが再び日本進出を目論んでいることを知り、それに対抗するためにウイニング・スタッドの隣にある岩坂牧場を購入しようと訪れた。そこでエドワードと初めてまともに接触し、牧場購入の権利を懸けた因縁の後先勝負へと発展。これに勝利し、熊三郎の意思により結果的に牧場は無償で譲り受けた。 経営方針や馬のトレーニングに関しては、しばしば突飛かつリスキーな方法(ミカヅキオーの脚が弱い事を知りつつ、自然治癒力を信じてあえて限界近い強度で調教し続けるなど)を考案し、その度に熊三郎や佐伯の反対を受けつつも押し切って実行する。 馬商時代はシビアな世界で生き抜いてきた者らしい、自信や攻撃的な言動が前面に出た性格だったが、牧場設立の頃から次第に楽天的で物腰柔らかな好青年へと変わっていった。しかしそれ以後も、周りが思わず怯むほど厳しい態度をとる事がある他、ミカヅキオーを骨折させた翔に対して殺す気で暴行を加えたり、寺沢健を受験に間に合わせるために数々の道交法違反(スピード違反、路肩走行、無謀な追い越し)を重ねた挙句パトカーに激突するなど、かつての勝気で激しい気性を度々覗かせた。主な所有馬ミカヅキオー(父メイセイオペラ) キンタ(虎谷幸一と共同所有)(父スターオブコジーン、母父サッカーボーイ) チビザグレイト(父ハクタイセイ) スーパーイチマル(父ステイゴールド) 佐伯 二階堂ファームの常務で、北関東競馬に所属していた元・騎手。騎手時代は駿の良きライバルであったが、駿同様北関東競馬の廃止と共に引退。北関東廃止の年に駿を抑えてリーディングジョッキーになった。 単行本1巻では東京を拠点に馬券予想会社の社長をしており、2巻では「大ちゃんレーシング」という名の会社であることが判明した。 容姿は坊主頭に剃りこみ、左耳にはピアス、顎ひげをたくわえており、岩坂からは「チンピラ」と呼ばれるような強面。加えて、かなり頻繁に激昂したり掴みかかったりするなど、その風貌に違わず短気で喧嘩っ早い。しかしその一方で、炎症で脚を痛めていたミカヅキオーのために薬を持ってきたり、荒っぽい方法ながらも何かと木戸に目をかけて成長を促すなど、心優しい一面もある。また暴走しがちな駿を諌める事が出来るただ一人の人物。 単行本5巻で木戸に向かって「俺にはうらやましいよ お前が “親が生きてる”それ以上の贅沢なんてよ 他に何があるっつうんだよな」と言うなど、親子というものに強く憧れているかのような描写がいくつかあり、のちに競馬教養センターの同期の中では駿と佐伯だけが在学時点で実の両親を共に亡くしていることが明らかになった。 白木の地方競馬騎手嫌いの原因を作った張本人で、現在でも白木とは犬猿の仲。宝塚記念編では白木との挑発的な応酬ののち殴り合いに発展するのがお約束だった。 馬券予想会社の社長でもある自分の存在が二階堂の中央馬主認定の障害になると危惧し、チビザグレイトの能検の日に辞表を提出して二階堂ファームを退社。その日ファームに残っていた岩坂夫妻にだけ別れを告げ、東京へと帰っていった。 二階堂ファームを離れる前に、弟子の木戸に、かつて自分が北関東リーディングジョッキーになった年にやっていた自己流のトレーニング法を伝えていた。 2007年の有馬記念直後に、経営していた馬券予想会社を自ら売却した上で二階堂ファームに雇用を志願し、再びスタッフの一員となった。 岩坂 熊三郎 二階堂ファームの牧場長。ファームのスタッフの多くから「場長」の役職で呼ばれる。 10月の北海道においてもランニングシャツに腹巻という薄着をしており、スーツに袖を通すのは牧場長として競馬場に行くときくらいである。頭につけている鉢巻きはどんな格好でもだいたいつけている。 エドワードが岩坂牧場を買収するために交渉に訪れた際、門前払いしようとしたが、岩坂牧場の土地を賭けて駿とエドワードに後先という博打で勝負を持ちかけた。しかしこれは駿の実力を確かめる為の試験であり、もとより牧場は駿に譲るつもりだった。 駿の父・勉とは同じ日高の牧場主として良きライバルでもあり、友人でもあったため、勉が自殺した時、彼をひとりにしてしまったことをずっと後悔していた。 長年の厳しい労働のせいで心臓が肥大化しており、単行本7巻で坂路の工事中に過労が原因で倒れている。 昔、日高・浦山青年団の団長をしており、前原田誠一郎や寺沢和男を含む当時の団員は今も彼を「団長」と呼び慕っている。熊三郎が倒れた際には坂路工事を手助けしにきた。逆に団員が事故で怪我をしてしまった際、代わりに駆けつけてお産を助けたりしている。 約20年前、雪子との間に太郎と名付けた男の子をもうけたが、太郎は風邪をこじらせてしまいわずか5ヶ月でこの世を去った。この事は駿も全く知らず、坂路工事中に太郎を模した石像が偶然掘り返された際に初めて熊三郎の口から語られた。 二階堂ファームの従業員たちからは、父親のように慕われている。その中でも佐伯との関係は特別で、佐伯が二階堂ファームを去る時には、本当の息子として見送った。 削蹄や笹針の達人で、さらにはミカヅキオーの悪癖の原因が歯の噛み合わせによるものだといち早く気づいて対処するなど、駿や団とはまた違った意味での馬に関するエキスパートである。 岩坂 雪子 熊三郎の妻。昔は育ちの良さげな地元でも評判の美人だったが、現在では時に熊三郎も頭が上がらないほどの逞しさを持つ女性となった。 熊三郎が25歳の時、夏祭りで彼の支離滅裂なプロポーズを受けて結婚。父親は公務員で牧場仕事には縁が無く、始めのうちは苦労したり辛い思いをしたりといった事を経験していた。さらには長年の重労働によって背や腰も曲がりボロボロの体になったが、熊三郎の自責をよそに、彼と結婚した事や馬屋の道を選んだ事に後悔はない様子。 一丸 アフロヘアーに近い髪型をしており、眉が太い。 元々は一流広告代理店(電報堂)に勤めていたが、たまたま競馬場で知り合った駿に馬券指南をしてもらい、その相馬眼の凄さに感動した。その後、佐伯に連れられて半ば押しかけるような形で二階堂ファームの従業員になる。 登場人物の中でもとりわけ快活な性格で、早くからファームのムードメーカーとして存在感を示す。 しかしそれが高じてお調子者が過ぎる部分もあり、つい口走る軽率な一言のせいでよく佐伯・熊三郎・団に鉄拳制裁を受けてしまう。 渡辺 普段から屋内外を問わず帽子を着用している。地毛は坊主頭に近い金色の短髪。 元々は一丸と同じ会社の社員で、競馬場で駿と居合わせた縁から二階堂ファームの従業員となる。 登場初期は細目でのんびり屋を思わせる風貌だったが、徐々に一丸と同様に活気あふれる振る舞いを見せるようになり、顔つきも精悍になった。 前原田 誠一郎 親子三代、70年続く前原田牧場の場長だった。現在は二階堂第2ファーム場長。 資金に余裕の無い零細牧場ながらも地道な経営を続け、男手一つで誠二を育ててきた。ところが突然、ある思惑から起死回生を図り、高齢の繁殖牝馬に高額な種牡馬を種付けするという、失敗すれば破産確実の危険な賭けに出る。結果は受胎せず、これに絶望した誠一郎は、先立った妻の墓前で自殺を図る。しかし息子の誠二による必死の説得で思いとどまり、牧場は負債ごと駿が引き受ける形で二階堂ファームの第二牧場として生まれ変わった。そのすぐ後、二階堂ファームの求人募集に誠二と共に応募し、採用される。 桁違いに丈夫な仔を産んできた繁殖牝馬を多く所有していて、駿はそれを“宝の山”と呼んで誠一郎の仕事を褒めちぎった。 前原田 誠二 旧前原田牧場で産まれ育った。幼少の頃に母親を亡くしている。父親に似ず、特徴には乏しいが均整のとれた顔立ちをしている。 父の誠一郎が無茶な種付けを決めた事で牧場の行く末を悲観し、卑屈になっていた。それでもかつては堂々としていて大好きだった誠一郎に対する愛情は根深く、最後の大勝負に失敗して自殺を図った誠一郎を必死で探し出し、涙ながらの説得によって決心を改めさせた。そのすぐ後、二階堂ファームの求人募集に誠一郎と共に応募し、採用される。 従業員となった当初は一丸らとの間に壁があったが、キンタの世話を3人で行うことに決まると途端に距離が縮まった。 普段は比較的大人しいが、いざとなると佐伯にも食ってかかる、気の強いところもある。 虎谷(とらたに) 翔 虎谷幸一の息子で、初登場時は金髪で垢抜けた風体の学生だった。 彼の一団がダービーを控えたミカヅキオーを無断で馬房から連れ出した上に目の前でカメラのフラッシュを浴びせ、ミカヅキオーの骨折の原因を作った。そして駿から激しい暴行を受け、重傷を負った。 事件後しばらくして、虎谷建設の一員として頭を丸め再び登場。そして坂路が完成して東京へ帰ろうとした矢先、唐突に幸一から「社長の器になるための修行」として、二階堂ファームに預けられるような形で従業員となった。 働き始めた当初はプライドが高い一方でどこか甘えた言動をとる問題児ぶりを露呈していたが、因縁深いミカヅキオーの世話を任され、自分を執拗に恐れるミカヅキオーに悪戦苦闘する日々を経て、危機感や責任感が芽生える。その結果、恥も外聞も捨てたあるアイディアを独力で思いつき、ついにミカヅキオーと和解。自らも見違えるほど精神的に一皮剥け、権藤に厩務員としての素質を見出されるまでになっている。 ミカヅキオーを骨折させた事を、実はその直後から夢に出るほど深く後悔し、反省していた。そのため、従業員として一人前になってからも、馬に危険が及ばないよう誰よりも注意を払っている。 寺沢 和男 寺沢牧場を経営していた、パンチパーマが特徴的な人物。かつて日高・浦河青年団の団員だった。現在は二階堂第三ファーム場長。 バブル景気の頃に浮かれていたところを熊三郎に殴られ、たしなめられた事があり、以後は誠実な馬作りに励んできた。なお殴られた際前歯が一本折れており、現在でもそのままである。 バブル以降、不景気の影響で牧場は自転車操業を続けていた。息子の健が明らかに家計を気遣って大学受験を止めると言い出したのをきっかけに、家族を苦しめてまで我を通して馬産を続ける事に嫌気が差し、涙ながらに駿に牧場を買ってくれるよう頼み込んだ。結局駿は寺沢牧場を一千万円で買い、昼夜放牧用の二階堂ファーム第三牧場とした。 寺沢 健 初登場時は大学受験を控えた高校三年生。塾などにも行かずに学校ではトップクラスの成績を修め、北海道大学の獣医学部を志望していた。家計を心配して受験を止めようとしていたが、駿の計らいによってなんとか受験にこぎつけ、合格した。 幼少時から父親たち生産者の働く姿を見るうち、ほんの些細な不運で努力が水の泡となってしまう事も少なくない馬産の現状を何とかしたい、との思いから獣医の道を志した。
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