二階堂ファームとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 二階堂ファームの意味・解説 

二階堂ファーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 01:50 UTC 版)

ウイニング・チケット (漫画)」の記事における「二階堂ファーム」の解説

二階堂駿社長とし、作中2005年10月設立され牧場。 なお、二階堂勉経営していた同名牧場以後“旧二階堂ファーム”と表記して区別する二階堂 駿 二階堂ファームの社長地方競馬馬主であったが団の進言JRA(中央競馬)馬主ライセンスも取る。現在はいわゆるオーナーブリーダーであるが、ピンフッカー(0~1歳仔馬買い付け育成調教行った馬主仲介する人物)としても活動している。馬を見ただけでその馬の父馬言い当てたり、馬の適性見切って高配当馬券予想的中させたりするなど、人並み外れて相馬眼長けている。これにより馬商(競走馬仲介を行う家畜商。ただしこれは本作品内でのみ通用している架空呼称であり、実際競馬界では馬喰(ばくろう)と呼ばれる。)としての名声競馬業界でも広く知られ、「日高風雲児」とも呼ばれている。 実家北海道日高三代続く牧場だったが、ウイニング・スタッドの罠により土地奪われ、父を亡くしたその後中学卒業まで帯広のおじに面倒を見てもらっていた。そのため早く経済的に自立することを目指し学業成績優秀だったにもかかわらず高校進学希望せず、騎手になるために地方競馬教養センター入学し騎手デビューした北関東不動リーディングジョッキーとして活躍したが、北関東競馬廃止に伴い騎手引退したその後、馬商として競馬携わっていたが、ウイニング・スタッドが再び日本進出目論んでいることを知り、それに対抗するためにウイニング・スタッドの隣にある岩坂牧場購入しよう訪れた。そこでエドワード初めまともに接触し牧場購入権利懸けた因縁後先勝負へと発展。これに勝利し、熊三郎意思により結果的に牧場無償譲り受けた経営方針や馬のトレーニングに関しては、しばしば突飛かつリスキー方法(ミカヅキオーの脚が弱い事を知りつつ、自然治癒力信じてあえて限界近い強度調教し続けるなど)を考案しその度に熊三郎佐伯反対を受けつつも押し切って実行する。 馬商時代シビア世界で生き抜いてきた者らしい、自信攻撃的な言動前面出た性格だったが、牧場設立の頃から次第楽天的物腰柔らかな好青年へと変わっていった。しかしそれ以後も、周りが思わず怯むほど厳し態度をとる事がある他、ミカヅキオーを骨折させた翔に対して殺す気で暴行加えたり寺沢健受験間に合わせるために数々道交法違反スピード違反路肩走行無謀な追い越し)を重ねた挙句パトカー激突するなど、かつての勝気激しい気性を度々覗かせた主な所有馬ミカヅキオー(父メイセイオペラキンタ虎谷幸一共同所有)(父スターオブコジーン母父サッカーボーイ) チビザグレイト(父ハクタイセイ) スーパーイチマル(父ステイゴールド佐伯 二階堂ファームの常務で、北関東競馬所属していた元・騎手騎手時代は駿の良きライバルであったが、駿同様北関東競馬廃止と共に引退北関東廃止の年に駿を抑えてリーディングジョッキーになった単行本1巻では東京拠点馬券予想会社社長をしており、2巻では「大ちゃんレーシングという名の会社であることが判明した容姿坊主頭剃りこみ、左耳にはピアス顎ひげたくわえており、岩坂からは「チンピラ」と呼ばれるような強面加えて、かなり頻繁に激昂したり掴みかかったりするなど、その風貌違わず短気喧嘩っ早い。しかしその一方で炎症で脚を痛めていたミカヅキオーのために持ってきたり、荒っぽい方法ながらも何かと木戸に目をかけて成長促すなど、心優しい一面もある。また暴走しがちな駿を諌める事が出来るただ一人人物単行本5巻木戸向かって「俺にはうらやましいよ お前が “親が生きてる”それ以上贅沢なんてよ 他に何があるっつうんだよな」と言うなど、親子というものに強く憧れているかのような描写いくつかあり、のちに競馬教養センター同期の中では駿と佐伯だけが在学時点実の両親を共に亡くしていることが明らかになった。 白木地方競馬騎手嫌いの原因作った張本人で、現在でも白木とは犬猿の仲宝塚記念編では白木との挑発的な応酬ののち殴り合い発展するのがお約束だった。 馬券予想会社社長でもある自分存在二階堂中央馬主認定障害になると危惧し、チビザグレイトの能検の日に辞表提出して二階堂ファームを退社その日ファーム残っていた岩坂夫妻にだけ別れ告げ東京へ帰っていった。 二階堂ファームを離れる前に弟子木戸に、かつて自分北関東リーディングジョッキーになった年にやっていた自己流トレーニング法伝えていた。 2007年有馬記念直後に、経営していた馬券予想会社を自ら売却した上で二階堂ファームに雇用志願し、再びスタッフ一員となった岩坂 熊三郎 二階堂ファームの牧場長ファームスタッフ多くから「場長」の役職呼ばれる10月北海道においてもランニングシャツ腹巻という薄着をしており、スーツ袖を通すのは牧場長として競馬場に行くときくらいである。頭につけている鉢巻きはどんな格好でもだいいつけている。 エドワード岩坂牧場買収するために交渉訪れた際、門前払いようとしたが、岩坂牧場土地賭けて駿とエドワード後先という博打勝負持ちかけた。しかしこれは駿の実力確かめ為の試験であり、もとより牧場は駿に譲るつもりだった。 駿の父・勉とは同じ日高牧場主として良きライバルでもあり、友人でもあったため、勉が自殺した時、彼をひとりにしてしまったことをずっと後悔していた。 長年厳し労働のせいで心臓肥大化しており、単行本7巻坂路工事中過労原因倒れている。 昔、日高浦山青年団団長をしており、前原田誠一郎寺沢和男を含む当時団員は今も彼を「団長」と呼び慕っている。熊三郎倒れた際には坂路工事手助けしにきた。逆に団員事故怪我をしてしまった際、代わりに駆けつけお産助けたりしている。 約20年前、雪子との間に太郎名付けた男の子もうけたが、太郎風邪こじらせてしまいわずか5ヶ月この世去った。この事は駿も全く知らず坂路工事中太郎模した石像が偶然掘り返された際に初めて熊三郎の口から語られた。 二階堂ファームの従業員たちからは、父親のように慕われている。その中で佐伯との関係は特別で、佐伯が二階堂ファームを去る時には本当息子として見送った削蹄笹針達人で、さらにはミカヅキオーの悪癖原因が歯の噛み合わせよるものだといち早く気づいて対処するなど、駿や団とはまた違った意味での馬に関するエキスパートである。 岩坂 雪子三郎の妻。昔は育ち良さげ地元でも評判美人だったが、現在では時に三郎頭が上がらないほどの逞しさを持つ女性となった。 熊三郎25歳の時、夏祭り彼の支離滅裂なプロポーズ受けて結婚父親公務員牧場仕事には縁が無く始めのうちは苦労した辛い思いをしたりといった事を経験していた。さらには長年重労働によって背や腰も曲がりボロボロの体になったが、熊三郎自責をよそに、彼と結婚した事や馬屋の道を選んだ事に後悔はない様子一丸 アフロヘアーに近い髪型をしており、眉が太い。 元々は一流広告代理店電報堂)に勤めていたが、たまたま競馬場知り合った駿に馬券指南をしてもらい、その相馬眼の凄さに感動したその後佐伯に連れられて半ば押しかけるような形で二階堂ファームの従業員になる。 登場人物中でもとりわけ快活な性格で、早くからファームムードメーカーとして存在感を示す。 しかしそれが高じてお調子者が過ぎる部分もあり、つい口走る軽率な一言のせいでよく佐伯・熊三郎・団に鉄拳制裁受けてしまう。 渡辺 普段から屋内外を問わず帽子着用している。地毛坊主頭に近い金色短髪。 元々は一丸と同じ会社社員で、競馬場で駿と居合わせた縁から二階堂ファームの従業員となる。 登場初期細目でのんびり屋を思わせる風貌だったが、徐々に一丸同様に活気あふれる振る舞い見せるようになり、顔つき精悍になった前原田 誠一郎 親子三代70年続く前原牧場場長だった。現在は二階堂第2ファーム場長資金余裕の無い零細牧場ながらも地道な経営続け男手一つで誠二を育ててきた。ところが突然、ある思惑から起死回生図り高齢繁殖牝馬高額な種牡馬種付けするという、失敗すれば破産実の危険な賭けに出る。結果受胎せず、これに絶望した誠一郎は、先立った妻の墓前自殺を図る。しかし息子の誠二による必死説得思いとどまり牧場負債ごと駿が引き受ける形で二階堂ファームの第二牧場として生まれ変わった。そのすぐ後、二階堂ファームの求人募集に誠二と共に応募し採用される桁違い丈夫な仔を産んできた繁殖牝馬多く所有していて、駿はそれを“宝の山”と呼んで誠一郎仕事褒めちぎった前原田 誠二前原牧場産まれ育った幼少の頃母親亡くしている。父親似ず特徴には乏しいが均整のとれた顔立ちをしている。 父の誠一郎無茶な種付け決めた事で牧場行く末悲観し卑屈になっていた。それでもかつては堂々としていて大好きだった誠一郎対す愛情根深く最後大勝負失敗して自殺図った誠一郎必死探し出し涙ながら説得によって決心改めさせた。そのすぐ後、二階堂ファームの求人募集誠一郎と共に応募し採用される従業員となった当初一丸らとの間に壁があったが、キンタ世話を3人で行うことに決まると途端に距離が縮まった普段比較大人しいが、いざとなると佐伯にも食ってかかる、気の強いところもある。 虎谷(とらたに) 翔 虎谷幸一息子で、初登場時金髪垢抜けた風体学生だった。 彼の一団ダービー控えたミカヅキオーを無断馬房から連れ出した上に目の前でカメラフラッシュ浴びせ、ミカヅキオーの骨折原因作った。そして駿から激し暴行を受け、重傷負った事件しばらくして虎谷建設一員として頭を丸め再び登場。そして坂路完成して東京へ帰ろうとした矢先唐突に一から社長の器になるための修行」として、二階堂ファームに預けられるような形で従業員となった働き始めた当初プライドが高い一方でどこか甘えた言動をとる問題児ぶりを露呈していたが、因縁深いミカヅキオーの世話任され自分執拗に恐れるミカヅキオーに悪戦苦闘する日々経て危機感責任感芽生えるその結果恥も外聞捨てたあるアイディア独力で思いつき、ついにミカヅキオーと和解。自らも見違えるほど精神的に一皮剥け権藤厩務員としての素質見出されるまでになっている。 ミカヅキオーを骨折させた事を、実はその直後から夢に出るほど深く後悔し反省していた。そのため、従業員として一人前になってからも、馬に危険が及ばないよう誰よりも注意を払っている。 寺沢 和男 寺沢牧場経営していた、パンチパーマ特徴的な人物。かつて日高浦河青年団団員だった。現在は二階堂第三ファーム場長バブル景気の頃に浮かれていたところを三郎殴られたしなめられた事があり、以後誠実な作り励んできた。なお殴られた際前歯一本折れており、現在でもそのままである。 バブル以降不景気影響牧場自転車操業続けていた。息子の健が明らかに家計気遣って大学受験止めると言い出したのをきっかけに、家族苦しめてまで我を通し馬産続ける事に嫌気差し涙ながらに駿に牧場買ってくれるよう頼み込んだ結局駿は寺沢牧場一千万円で買い、昼夜放牧用の二階堂ファーム第三牧場とした。 寺沢 健 初登場時大学受験控えた高校三年生。塾などにも行かず学校ではトップクラス成績修め北海道大学獣医学部志望していた。家計を心配して受験止めようとしていたが、駿の計らいによってなんと受験こぎつけ合格した幼少時から父親たち生産者の働く姿を見るうち、ほんの些細な不運努力水のとなってしまう事も少なくない馬産現状を何とかしたい、との思いから獣医の道を志した

※この「二階堂ファーム」の解説は、「ウイニング・チケット (漫画)」の解説の一部です。
「二階堂ファーム」を含む「ウイニング・チケット (漫画)」の記事については、「ウイニング・チケット (漫画)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二階堂ファーム」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二階堂ファーム」の関連用語

二階堂ファームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二階堂ファームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのウイニング・チケット (漫画) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS