父馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:12 UTC 版)
詳細はハリーオンおよびハリーオン系を参照。 父馬ハリーオンは第1次世界大戦中(1914-1918)のイギリスで活躍した競走馬で、戦時中にセントレジャーステークスの代替競走として行われたセプテンバーステークスなど6戦無敗の成績を残した。種牡馬になるとすぐに、1922年にキャプテンカトルがダービーを勝ち、スタミナに富む種牡馬とみなされるようになった。 母のコメディエンヌにハリーオンがあてがわれた1923年の時点で、ハリーオンの産駒で主要な活躍をしたのはキャプテンカトルとタウンガードがいた。タウンガードは1922年の2歳戦でジムクラックステークスなどの重賞を勝つ活躍をしていた。コールボーイが誕生した1924年の春には、ハリーオンの産駒プラック(Pluck)が1000ギニーに優勝している。
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父馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 04:51 UTC 版)
詳細はプリシピテイション及びプレシピテーション参照。 プレシピテーション(Precipitation)は典型的なハリーオン系らしく、大型で晩成のためクラシックシーズンには間に合わなかったが、古馬になって、1937年のアスコットゴールドカップに優勝した。種牡馬になると、クラシック優勝歴が無いにも関わらず300ギニーという高額の種付料を設定したが、すぐに数年分の予約が入るほどの人気となった。その初年度産駒が競走年齢に達する前に種付けされて誕生したのが本馬である。 プレシピテーションの初年度産駒からは一流馬は出なかったが、2年目の産駒からはオークス優勝馬ホワイハリー(Why Hurry)が登場した。本馬はホワイハリーがオークスに勝った年に競走年齢(2歳)に達した。のちにプレシピテーションの産駒からは多くの一流競走馬、成功種牡馬が登場することになるが、本馬はその先駆けとなった。
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