父親ハインリヒについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 20:39 UTC 版)
「グドルーン・ブルヴィッツ」の記事における「父親ハインリヒについて」の解説
父ハインリヒに可愛がられて育ったグドルーンは親衛隊長官の娘であることを心から誇りに思っており、新聞に掲載された父の写真は全て切り抜いて大きなアルバムに収め保管していたという。ただし、軍人としての目立った戦功が無かった点については不満を抱いていたとされ、彼女の戦時中の日記にも次のような記述がある。 皆が勲章や賞状をもらっているのに、パパには何もない。1つくらいはもらってほしい。そうでなければおかしいのに。 総統アドルフ・ヒトラーのことも尊敬しており、彼の健康不安が噂された時には、「『ヒトラーおじさん』(Onkel Hitler)は100年でも200年でも生きなければ」と手紙に書いていた。 ナチス・ドイツの時代、グドルーンは「ナチのお姫様」(Nazi-Prinzessin)といういくらかの皮肉が込められた呼び方をされることがあった。父に付き添い彼の「職場」を訪れることも多く、ダッハウ強制収容所を訪問したこともある。ダッハウを訪問した日、彼女は次のように日記を綴っている。 今日はダッハウの強制収容所に行ったの。私たちは見られる限りのものを見てきたわ。園芸の仕事、梨の木……(中略)……それに、囚人たちの描いた絵。すてき。 1945年8月、父の死を知らされた時、彼女は「気が狂いそう」と答え、父の最期が自殺であった事を信じようとはしなかった。戦後、彼女は銀の額に収めた大きな父の肖像画を自分のアパートに飾っていた。彼女はまた、一般的に抱かれている父の悪評を正す事を目的に様々な活動を行った。1961年のインタビューでは次のように語っている。 今日、私の父は史上最悪の虐殺者として蔑まれている。父の別の姿、すなわち真実の部分、光の部分を世界に知らしめていくことこそ、私が人生を費やすべき使命なのです。 1950年代に父の擁護を主題とする本を執筆したものの、出版には至らなかった。
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