二階堂駿所有の現役競走馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 01:50 UTC 版)
「ウイニング・チケット (漫画)」の記事における「二階堂駿所有の現役競走馬」の解説
ミカヅキオー 生産者:山田牧場 主な勝ち鞍:宝塚記念、青葉賞、阪神大賞典 牡4歳・青鹿毛。額に完全な三日月形をした流星を持つ。 馬商時代の駿が山田牧場から買い、藤原に紹介して売った馬。競走馬としては致命的に脚が弱く、二階堂ファームに預けられた時点で当時の調教師やオーナーの藤原も匙を投げている有様だった。やむなく藤原が駿に殺処分を頼んだところ、その抜群の才能を見込んでいた駿がそれならばと引き取り、そのまま二階堂ファームで育てられることとなった。 脚の弱さに加え、食の細さやゼラチンアレルギー、輸送のストレスに滅法弱くすぐに体調を崩す精神的な脆さ、左回りのコースでは最内しか走れない悪癖など、数々の不安要素が発覚しては陣営一同を悩ませた。それでも彼らの懸命な対策でことごとく問題を解決し、大目標の日本ダービー制覇に向けて快進撃を続ける。 南関東デビューから破竹の4連勝、左回りの弱点も克服し、まさに万全の状態でダービーに臨めるはずだった折に、翔ら観光客集団の身勝手な行動により右前脚を骨折してしまう。すぐさま緊急手術を受けたが、怪我の度合いは駿が生存を諦める程に深かった。なんとか一命を取りとめたのち、以前治癒力の強化に努めた事が幸いしたか、診断と手術を担当した獣医も脱帽する回復力によってみるみる快方に向かい、キンタが函館2歳ステークスを優勝した数日後に完治した。骨折からおよそ半年後の11月下旬、ジャパンカップと同日に京都競馬場で行われたオープン・アンドロメダステークスでレース復帰を果たした。 当初はひどく臆病なところも重大な欠点として扱われていたが、レース中においては、デビュー戦でのスタート失敗と道中で折り合いを欠いていたのを除くと、臆病さが原因となる不利は特に起こらなかった。後に翔と共に過ごす日々や4歳の春先から始めた昼夜放牧を経てこの点も完全に克服し、一転してサラブレッドの常識を超える程の精神力と落ち着きを身につけた。 4歳を迎えてすぐ、主戦騎手が白木に替わる。緒戦の阪神大賞典を勝って天皇賞(春)に挑んだが、伏兵馬ワタシノファルケの乾坤一擲の逃げがはまり、白木共々必死に追い上げるも僅かに届かず2着に敗れた。 宝塚記念はディーバックが出走回避して実力的には格下ばかりのメンバーとなり、駿も佐伯も笑みをこぼす楽勝ムードであった。が、前週の調教中に白木が落馬し骨折したため、急遽植木が鞍上を務めた。しかし植木が度々驚いた精神力を武器に、乗り替わりやレース中の不利をはねのけて悲願のGⅠ制覇を果たした。 昼夜放牧中にキンタと自発的に競争するようになったのが裏目となり、目標としていた天皇賞(秋)を回避する羽目になり、有馬記念に向かう。 GI勝利数、獲得賞金額ともキンタが上であるが、登場当初から二階堂ファームの看板馬である。二階堂ファームのブルゾンのデザインもミカヅキオーの額の三日月をモチーフとしている。 通り名は宝塚記念編まで「無冠の帝王」 キンタ 生産者:前原田牧場(現・二階堂ファーム第二牧場) 主な勝ち鞍:ジャパンカップ、皐月賞、朝日杯FS、スプリングステークス、函館2歳S 牡3歳・尾花栗毛。黒目が小さく、かまぼこのような形のつり目をしている。母の父サッカーボーイから受け継いだ金色の鬣(たてがみ)をしていることから誠二が「キンタ」の愛称で呼んでいた事に由来し、そのまま競走馬名に採用された。生後間もなく母親を亡くしていて、同じ境遇である誠二は特別な思い入れを抱いていた。 2歳6月の時点で体重が390kg前後とかなり小柄で、その影響で前原田牧場の得意先であった地方馬主たちからは敬遠され、売れ残っていた。だが前原田牧場ごとキンタを引き継いだ駿はこの馬の芝レースへの適性を見抜き、ミカヅキオーに匹敵するクラシック級の逸材として自ら所有を決めた。 精神面においては、ミカヅキオーとは対照的に登場初期から抜群の図太さと気の強さを備えていた。また、馬房裏手で倒れた誠二を見つけると、馬房を正面から自力で抜け出して駆けつけるなど、頭も良い。ただ皐月賞ではその強気と賢さが裏目に出てしまい、10万人規模の大観衆に過剰反応して入れ込んでしまうなど、未熟な部分も無い訳ではなかった。ミカヅキオーと同じく昼夜放牧を体験し、精神的なタフさにさらに磨きがかかった。 競走能力についても駿や団が太鼓判を押す程に優れるが、極端な芝コース向きの馬であり、ダートレースでの強さは並以下である。にもかかわらず地方の団厩舎に所属したため、ダートコースでの能検および中央で走れるようになるまでの地方レースでは苦戦を強いられた。 柔らかい体を活かした上下動のない効率的なフォームで走れ、重賞でも他馬とは段違いのスピードを誇る。出遅れ癖のために最後の直線で追い込む後方からの競馬が多いが、本来は父親のスターオブコジーンと同じく、末脚のキレ(最高速)よりもスパートの持続力を売りとするタイプである。ダービーではこの特徴を活かした作戦がはまったこともあり、本来は常識外れの残り750m付近からスパートをかけながらも最後までニュートンジョンを追い上げ続け、駿の想像をも超える走りを見せた。 昼夜放牧中にミカヅキオーと自発的に競争するようになったのが裏目となり、目標の菊花賞を回避する羽目になった。 ジャパンカップではダービーよりさらに早い残り800mからのスパートを敢行し、宿敵ニュートンジョンを破った。 430kgの小さい馬体、売れ残りだった過去からファン人気は非常に高く、ダービーでは本馬場入場時、ジャパンカップでは確定後にキンタコールが起こった。また有馬記念ファン投票でも1位に輝いている。 通り名は「北海道のアイドル」 チビザグレイト 主な勝ち鞍:北海道2歳優駿 生産者:花沢牧場 牝2歳・芦毛(ただし当初は黒鹿毛だと思われていた)。 作中で最初に登場した馬で、夜逃げした後の花沢牧場に取り残されていたところを駿に見つかり、引き取られた。二階堂ファーム設立の頃にはチビの愛称で呼ばれており、駿に将来を期待されながら順調に育っていった。 2歳7月で体重470kgにまで成長し、古馬・牡馬顔負けのパワーを身につけた。能検や旭川でのデビュー2戦を楽々とクリアしてポテンシャルの高さを見せ、翌年のダービーあるいはオークスこそはと期待されていた。が、中央初挑戦のコスモス賞でまさかのシンガリ負けを喫し、芝レースのスピードにはついていけないタイプだと判明した。これを受けて目標を地方のダートGⅠ路線に切り替え、引き続き団厩舎に預けられる事となった。 スーパーイチマル 主な勝ち鞍:札幌2歳ステークス、コスモス賞 牡2歳。 父 ステイゴールド 目が一丸に似ている。体型は胴長で腿の筋肉も薄く、駿によれば「どう見ても中長距離馬」のステイヤータイプ。 それでもデビュー戦では木戸の力も手伝ってダート1000mのスプリントレースを勝利し、続くダート1600mのターフチャレンジ競走でもチビザグレイトに続く2着、そして芝1800mの中央オープン・コスモス賞ではチビザグレイトの失速を尻目に快勝を収めた。 重賞初挑戦の札幌2歳ステークスでは、序盤に他馬と接触してかかり、さらに直線でも手前を変えないまま走り続けたが、その大きなロスを豊富なスタミナでカバーし、クビ差で優勝した。 スーパーショウ 2歳。のんびり屋でスタートが悪く、デビュー2戦は2着続きで勝ちきれなかった。 3戦目ではスタートから積極的に前を狙った戦法をとって逃げ切り、勝ち上がりを果たした。 スーパーワタナベ 2歳。レースシーンは描かれていないが、少なくともスーパーショウより早く初勝利を挙げた。 スーパーセイジ 2歳。スーパーワタナベと同じく二階堂ファーム2歳世代の一頭で、すでに初勝利を挙げている。
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