存在感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:58 UTC 版)
国鉄時代はその豪快な人柄と圧倒的な実力のため、監督以上に力のある選手だった。国鉄が球団創立となった年にシーズン途中入団して、球団名消滅(厳密には巨人への移籍元年に消滅)と共に去ったが、在籍した15年間のうち、開幕投手を実に10度も務めている。これは国鉄では最多回数で、開幕投手を複数回務めているのは金田だけである。先発して大量点を取られたり、審判の判定に不服だと自分から勝手にマウンドを降りてしまったりすることもあった。別所毅彦は現役時代の金田について「監督を監督していたのはあいつぐらいのものだ」と語っていた。守備でも味方がエラーをするとグラブを叩きつけて罵倒したという。 現役時代から傍若無人で、監督が交代を告げる前に降板したことはおろか、監督が交代を告げる前にマウンドにのぼったこともあった。当時捕手の根来広光は、「金田さんは機嫌を乱すと本当に荒れた、しかし彼ががんばらなければチームはどうしようもないので機嫌を直すのにとても苦労した」とインタビューで振り返っている。球場についても文句を言い、狭いことで有名な東京球場での対巨人戦に先発して本塁打を連発された際は「こんな狭い球場で投げれるか!」と叫んだことがある。のちにロッテ監督に就任した際も「あんな狭い球場いらんわい」と発言し、東京球場の閉鎖→取り壊しにつながっている。 国鉄時代同僚だった佐々木重徳によると「国鉄に入ってみたら金田さんは大エースで、歴史的に伝えられている通り、金田さんのワンマンチームでした」、「ある年(1960年)金田さんが「10年連続20勝」まであと1勝というゲームでその試合は4年目の島谷勇雄という投手が先発し、リードしたまま5回途中まで投げたところで金田さんが『わしが行く』とベンチを出て『ピッチャー金田』と自分で審判に告げて、マウンドに向かい、その試合で金田さんは勝ち投手になり10年連続20勝を達成しました。その時点でプロ未勝利だった島谷は通算0勝で引退したのですから、皮肉なものでした。今となってはいい思い出として、島谷も笑っていますけどね。とにかく金田さんは勝つための執念はすごかった。でもそれだけの実力を持った人でした。いろいろ批判はあるだろうけど、一番努力した人だと思いますね。僕らとは全然違い、誰にもできない練習量を一人でこなしていました。ワンマンだからと言って、チームメートから孤立しているとか、そういうことはなかったです。かわいがってくれましたよ」と語っている。 ただし、9月30日の中日戦で起こったこの一件は島谷がこの5回に無死三塁のピンチを招いたタイミングで起こって居たことや、宇野光雄監督が「金田の20勝はこの試合でなくてもできると思っていた。島谷が調子がよかったからなおさらその気はなかったが、五回根来捕手に聞いたところいまは調子がよいが完投はむずかしい。六、七回ごろにくずれそうだというので思い切って代えた」、金田も「私が五回にとった態度は悪かったと反省している」と試合後にコメントしており、宇野が金田へのスイッチを審判に告げる前に金田が居ても立っても居られずに飛び出していったのが真相である。 なお、島谷との一件 の少し前には、1960年シーズンに18勝で肩を並べていた国鉄第二の主戦投手である村田元一に対して、金田は「どうしても先に20勝させてほしい」と懇願したとされており、金田の執念を察しながらも納得の出来ない村田は翌日自ら二軍落ちを申し出て、シーズンの残り1ヶ月をそのまま二軍で棒に振ってしまったという「事件」をも引き起こしており、監督の宇野光雄はこうした金田の姿勢と感情的に対立し、同年限りで国鉄監督を退任して大毎オリオンズ監督へと転身していった。 佐々木がある試合でエラーした時、金田がグラブをマウンドに叩きつけたので佐々木もマウンドにグラブを叩きつけて、「お前一人で野球をやってるんじゃないんだよ!」と言い返したところ、金田に「試合が終わったら待ってろ」と言われる。佐々木は金田に殴られるのかと思いつつも、試合後に金田が「付いて来い!」というので、恐る恐る付いていった。すると金田は食事をご馳走してくれて、自宅にも泊めてくれた。それ以来、佐々木は金田の事を「エース」と呼んでおり、そう呼ばないと金田は返事をしてくれなかったという。 大卒のサラリーマンの初任給で1万いかない時代で佐々木は2年目の月給が8万で、金田は100万貰っていた。佐々木の年収より金田の月給の方が多く、今の感覚なら金田の年俸は10億ぐらいの価値があるという。
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存在感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 01:34 UTC 版)
藤沢市内の小中学生球児は、公式戦で上位に残らないと八部球場で試合ができないため、「八部球場で試合をする」ことは高校球児が甲子園を目指すことと同じほどの憧れがあり、「はっぺきゅうじょう」は藤沢市球児には大きな存在感がある。また電光掲示板があるので小中学生は憧れの球場である。
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存在感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 14:57 UTC 版)
キャラクターとしての存在感は大きく、トーベ・ヤンソンに独特の世界観を形成しているものの一つと言ってよい。商品展開などでもニョロニョロ達は単独で成立し得る強さがあり、そのような商品が数多く発売されてきた(実例:宝島社『MOOMIN お部屋ライト』)。 また、作品とともにこのキャラクターに親しんできた人は多く、「ニョロニョロに似た何か」が話題に挙がることも珍しくない。例えば、北海道伊達市の大滝区円山町(旧・有珠郡大滝村)にある百畳敷洞窟は、凍て付く冬に日本最大規模の約2,500本(資料によっては約5,000本)もの天然氷筍が育つことで知る人ぞ知る洞窟であったが、いつの頃からか無数の氷筍が「ニョロニョロにそっくりだ」ということでも知られるようになっていた。そこで、当地区は、2010年代初期より公認ガイドカンパニーによるツーリズム「神秘の洞窟氷筍探訪」(別名:大滝氷筍探訪)に「ニョロニョロを見る」という価値を付加する形で地域おこしに活かすようになった。 きのこに詳しい人々の間では、ハラタケ目のシロソウメンタケ(白素麺茸、Clavaria fragilis)がニョロニョロによく似ていると知られているが、2018年10月、その写真がTwitterで取り上げられると、面白いネタとして「やっぱりニョロニョロの正体はキノコだった」などと話題になり、ツイートは1万2000件以上拡散された。なお、日本語版公式ウェブサイトにおけるニョロニョロの紹介記事でも、「細いキノコのよう」(2019年確認)、「細いキノコや白いスポンジ製の細長い靴下のよう」(2022年確認)など、時期によって内容に違いがあるものの、この特徴に言及している。
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「存在感」の例文・使い方・用例・文例
- セーラームーンファンダムは依然としてオタク界の中で存在感が大きい。
- 最新鋭の設備を持つ工場の稼動で、A社は、家電業界に存在感を示す考えだ。
- 彼は存在感がありすぎだ。
- 彼女に存在感は無い。
- その寺院は他のもの以上に存在感がある。
- 私は日本の存在感を高めることに貢献したい。
- 彼は存在感が無い。
- 私は重厚で存在感のある音が好きです。
- 彼は存在感を強めていった。
- シロオニタケは毒菌だけど、存在感があって好きだなあ。
- 彼は存在感がある.
- 彼の威厳のある存在感
- 彼の強い存在感や演技力は最近の人気テレビドラマ「華麗なる一族」で見られる。
- 会談後の記者会見で,鳩山首相は米国の見解に応え,「米国がアジアでより大きな存在感を示すことを期待している。」と述べた。
- ブラジル日産の真(ま)野(の)仁(ひと)志(し)副社長は「急成長しているブラジルの車市場で,キックスが強い存在感のある車になることを期待している。」と語った。
存在感と同じ種類の言葉
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