かれいなるいちぞく〔クワレイなるイチゾク〕【華麗なる一族】
華麗なる一族
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1974 |
配給: | 東宝 |
スタッフ | |
監督: | 山本薩夫 ヤマモトサツオ |
製作: | 市川喜一 |
森岡道夫 モリオカミチオ | |
原作: | 山崎豊子 ヤマザキトヨコ |
脚本: | 山田信夫 ヤマダノブオ |
撮影: | 岡崎宏三 オカザキコウゾウ |
音楽: | 佐藤勝 サトウマサル |
美術: | 横尾嘉良 ヨコオヨシナガ |
大村武 オオムラタケシ | |
編集: | 鍋島淳 ナベシマジュン |
録音: | 原島俊男 ハラシマトシオ |
スクリプター: | 東宝映画 |
吉崎松雄 | |
助監督: | 後藤俊夫 ゴトウトシオ |
照明: | 下村一夫 シモムラカズオ |
キャスト(役名) |
佐分利信 サブリシン (万俵大介) |
月丘夢路 ツキオカユメジ (万俵寧子) |
仲代達矢 ナカダイタツヤ (万俵鉄平) |
山本陽子 ヤマモトヨウコ (万俵早苗) |
目黒祐樹 メグロユウキ (万俵鏡平) |
中山麻理 ナカヤママリ中山麻里 (万俵万樹子) |
酒井和歌子 サカイワカコ (万俵二子) |
田宮二郎 タミヤジロウ (美馬中) |
香川京子 カガワキョウコ (美一子) |
京マチ子 キョウマチコ (高須相子) |
河村弘二 カワムラコウジ (大川一郎) |
二谷英明 ニタニヒデアキ (三雲祥一) |
大空真弓 オオゾラマユミ (三雲志保) |
西村晃 ニシムラコウ (綿貫千太郎) |
中村哲 ナカムラテツ (白河) |
浜田寅彦 ハマダトラヒコ (大亀) |
高城淳一 タカギジュンイチ (芥川) |
高原駿雄 タカハラトシオ (角田) |
加藤嘉 カトウヨシ (銭高) |
稲葉義男 イナバヨシオ (一之瀬工場長) |
北大路欣也 キタオオジキンヤ (一之瀬四四彦) |
神山繁 コウヤマシゲル (和島) |
下川辰平 シモカワタッペイ (工程部長) |
滝沢修 タキザワオサム (官本) |
伊東光一 イトウコウイチ (佐橋総理大臣) |
小沢栄太郎 オザワエイタロウ (永田大蔵大臣) |
河津清三郎 カワヅセイザブロウ (田淵幹事長) |
細川俊夫 ホソカワトシオ (松尾) |
金田龍之介 カネダリュウノスケ (荒尾留七) |
大滝秀治 オオタキヒデジ (中根正義) |
北林谷栄 キタバヤシタニエ (総理夫人) |
荒木道子 アラキミチコ (小泉夫人) |
小夜福子 サヨフクコ (伊東夫人) |
田武謙三 タブケンゾウ (大平) |
花澤徳衛 ハナザワトクエ花沢徳衛 (中川留市) |
若宮大佑 ワカミヤタイユウ (市太老) |
佐々木孝丸 ササキタカマル (鎌倉の男) |
鈴木瑞穂 スズキミズホ (倉石弁護士) |
解説 |
富と権力獲得への手段として、華麗なる閨閥をはりめぐらす万俵一族を主役に、金融界の“聖域”銀行、背後で暗躍する政・財界の黒い欲望を描く。原作は山崎豊子の同名小説。脚本は「戦争と人間 完結篇」の山田信夫、監督も同作の山本薩夫、撮影は「朝やけの詩」の岡崎宏三がそれぞれ担当。 |
華麗なる一族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:22 UTC 版)
『華麗なる一族』(かれいなるいちぞく)は、山崎豊子の長編経済小説。1970年3月から1972年10月まで『週刊新潮』に連載、1973年に新潮社より上中下巻の全3巻で出版された。高度経済成長を背景に、大富豪の銀行家一族を軸に政財界にわたり富と権力を追い求める人びとの野望と愛憎を描く。『沈まぬ太陽』『白い巨塔』などと並ぶ山崎の代表作。
注釈
- ^ 2007年版ドラマ放送直前に放送された『みのもんたの朝ズバッ!』で、万俵家の名前は神戸に実在する万俵さんから頂いた可能性があると伝えられた。 ドラマの設定とは無関係であるが、戦前に石炭商で事業を興して成功し、それなりに裕福な家庭であった(のち敗戦で資産没収)のと、山崎豊子が作家になる以前から万俵家とは親交があったことによる。
出典
- ^ 作品より
- ^ 山崎豊子全集第10巻 華麗なる一族(1)収録 『華麗なる一族』取材ノート 新潮社
- ^ “週刊ドラマニュース!中村倫也「珈琲いかがでしょう」実写化、大倉忠義 妻役の広瀬アリスのギャップにびびる!”. TVマガ (2021年1月12日). 2021年1月22日閲覧。
- ^ “「華麗なる一族」がWOWOWで連続ドラマ化! 主人公・万俵大介役は中井貴一”. 映画.com. (2020年3月10日) 2020年3月10日閲覧。
華麗なる一族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:53 UTC 版)
詳細は「華麗なる一族 (競馬)」、「マイリー (競走馬)」、「キユーピツト」、「イットー」、および「ハギノトップレディ」を参照 荻伏牧場は1957年、それまで4、5頭しかなかった繁殖牝馬を拡充するために、イギリスから船を用いて複数頭を導入。スエズ動乱のためにスエズ運河が使えず、遠回りしてケープタウン経由で日本に至っていた。そして到着して横浜港に降り立った1頭が、マイリーである。マイリーは、ニアルーラを受胎した状態で乗船していた。船の中で出産する可能性が存在したが、入国2日後の動物検疫所内で出産を迎えている。その仔は神奈川県産、ぎりぎりのタイミングで内国産馬に分類された。キューピットという名で競走馬となり、1961年の阪神牝馬特別など9勝を挙げた。その後、キューピットは繁殖牝馬となったが、仔出しが悪く2頭しか遺せなかった。片方のヤマピットは、1967年優駿牝馬など9勝。ただし、繁殖となったヤマピットは1頭、牡馬のボージェストを遺したのみで死亡し、後継を遺せなかった。 キューピットの仔のもう片方、ヤマピットの妹にあたるミスマルミチは8勝あげて活躍中だったが、姉の死を受け、牝系を維持するべく急遽繁殖にまわっていた。初年度は、オーナーの斉藤隆の好きな種牡馬ヴェンチアと交配する。そうして産まれたのが、牝馬のイットーだった。イットーは、春のクラシック直前に、深管骨瘤、コズミを発症して、確勝と見られていた桜花賞を回避。続く優駿牝馬も回避。治癒後、夏の函館競馬場で逃げ切り、レコード優勝。牝馬三冠競走の最終戦エリザベス女王杯を目指して京都牝馬特別に臨むも、キシュウローレルの落馬骨折のあおりを受けて、10着敗退。7針縫う怪我、エリザベス女王杯も断念していた。不運に見舞われたクラシックだったが、古馬となってからは高松宮杯を逃げ切り優勝し、牡馬相手に実力証明。通算7勝を挙げた。引退の原因は、7針縫う怪我から1年後、再び京都牝馬特別にて、自らの後ろ脚で自らの前脚を蹴って怪我したためだった。 繁殖となったイットーの初年度は、荻伏がフランスから導入した種牡馬サンシーと交配する。そして産まれたのが、ハギノトップレディだった。ハギノトップレディは、デビュー戦を快速で飛ばして、日本レコードで優勝。その後怪我するも、クラシック直前に復帰し、イットーの出走できなかった桜花賞に出走。快速飛ばしてハイペースで引っ張り、そのまま逃げ切り優勝。優駿牝馬は大敗するも、秋のエリザベス女王杯で再び逃げ切り、牝馬二冠を果たした。古馬となってからは、宝塚記念からアメリカのアーリントンミリオン遠征も予定されたが、宝塚記念4着で遠征は断念。代わりに出走した高松宮杯で逃げ切り、後方に6馬身差の優勝。母娘高松宮杯制覇という快挙を成し遂げて、通算7勝で引退していた。 マイリーの子孫から、ヤマピット、イットー、ハギノトップレディ、加えてハギノトップレディの弟であるハギノカムイオーが活躍。荻伏牧場が維持、発展してきたこの牝系マイリー系は、志摩直人により「華麗なる一族」と名付けられ、広く使われるようになっていた。
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