存在意義の喪失と解隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 07:44 UTC 版)
「ハンブルク市民軍」の記事における「存在意義の喪失と解隊」の解説
1849年以降、市民軍の政治的な存在意義は失われ、その任務は次々に縮小されていった。また、軍事的な進歩にも追随できなくなっていた。礼儀作法や代表機関としての問題も次第に大きくなる。1866年、ハンブルクが北ドイツ連邦の軍事同盟に参加するとドイツ連邦軍への派遣部隊は解散し、第76「ハンブルク」歩兵連隊 (ハンザ都市第2連隊)に再編される。この軍事体系に、もはや市民軍は適応できなかった。僅差で採択された市議会からの提言を受け、市参事会は10日間に14,000の署名を集めた反対運動にも関わらず、「多くの市民の家族が誇りを見出していた」市民軍の解散を決定する。これは1868年7月30日、実行に移された 。 「ハンブルク市民軍とともに、解放戦争の時に生まれた民主的な、ただ防衛に専念する組織という着想の産物が、ドイツで最後に消滅した。」この第76歩兵連隊は1866年10月30日にブロンベルクで創設され、1867年10月1日以降は同年6月27日の協定に基づき、解隊されたドイツ連邦軍の内、ハンブルクおよびリューベックからの派遣部隊所属者を受け入れている。続いて北ドイツ連邦が成立すると、ハンブルクは自衛権を放棄した。
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