存在性に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/27 07:50 UTC 版)
「ネイト (衛星)」の記事における「存在性に対する批判」の解説
以上のように、金星の衛星の存在を示唆する報告が相次いだ一方で、ウィリアム・ハーシェルをはじめとする多くの天文学者は金星の衛星を見つけることはなく、その存在性が議論を呼んだ。 1766年には、ウィーン天文台長のヘル神父によって、金星の明るい像が観測者の眼球で反射して望遠鏡に戻り、二次的に小さな像を結んだもので、衛星とされているものは虚像にすぎないと、否定的な見解を表明した。 1884年になると、ブリュッセル王立天文台長を務めていたウーゾーが、衛星とされた天体の公転周期が283日の惑星であれば、金星との会合周期が1,080日となるので、これまで報告された観測記録と合致すると主張した。ネイトという仮称は、ウーゾーがエジプト神話に登場するサイスの神秘的な女神ネイトにちなんで命名したものである。その3年後の1887年、ウーゾーはこの問題を再び取り上げた。ベルギー科学アカデミーはこれまで観測されたネイトの記録を調べて報告書を作成したが、その中では観測されたものの大部分が金星の近くに存在したおうし座M星、オリオン座χ1星、同71番星、てんびん座θ星、ふたご座ν星といった恒星を見誤ったものと結論している。ランベルトが算出したネイトの軌道要素も破棄された。 ベルギー科学アカデミーの報告書の後、1892年8月13日に、E・E・バーナードが金星の近くに7等星を発見した。バーナードは、該当する位置に衛星はなかったと報告している。
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