ふう‐ぼう〔‐バウ|‐ボウ〕【風貌/風×丰】
ふうぼう〔フウバウ〕【風貌】
容貌
風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 17:28 UTC 版)
あごが張って、口が大きく、瞳にはキラキラとした光があった。 劉琬・劉備から高貴な人相であるという評判があった。また東晋大将の桓温は立派な姿貌を備え、孫権・司馬懿のような風貌をしている。 年上の曹操や劉備と並び、若君の代表格として知られる。南宋の詞人辛棄疾の『南郷子・登京口北固亭有懐』には「年少万兜鍪 坐断東南戦未休 天下英雄誰敵手 曹劉 生子当如孫仲謀」であり、また『永遇楽・京口北固亭懐古』には「千古江山 英雄無覓孫仲謀処」と歌われている。 小説『三国志演義』では、「碧眼紫髯 堂堂一表」と堂々とした風采の持ち主として描写されている。「碧眼児」(水色瞳の童)と呼ばれる。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 13:38 UTC 版)
身長は七尺五寸。日角(のように額が隆起しており)龍顔で、手を伸ばせば膝を過ぎた。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 16:43 UTC 版)
特に、対外向け衛星放送の声明報道においては、民族主義を発揮する意図を込めて、暖色系のチマチョゴリ姿で出演する。北朝鮮国内向けの有線放送ではチマチョゴリのほかに、スーツ姿で出演することも多い。対外向けの衛星放送においても、2006年10月9日の核実験ないし核拡散防止条約 (NPT) からの脱退宣言報道の際には、ベージュのスーツ姿で出演した例がある。 特権階級の「人民放送員」である彼女は、平壌市内にある特権階級向け保養施設『蒼光院(창광원、チャングァンウォン)』を利用することが許可されている。このため彼女は、同園内のサウナやレストランのほか、同園内に設置された北朝鮮最先端の技術を持つ美容師たちが集まった美容室を愛用していることが知られ、彼女のヘアスタイルは北朝鮮の特権階級中高年女性の間で流行の先駆けとなっている。 また、北朝鮮のファッションの最先端を創出する「被服研究所」で調製された被服類も、上級アナウンサーに対して無償で提供(一般アナウンサーにもタダ同然の価格で販売)されるため、彼女が身につけている衣装は、朝鮮服・洋服を問わず北朝鮮国内の最先端ファッションであり、ヘアスタイルと同様、特権階級中高年女性の間で流行を巻き起こすのが常である。 ただ、彼女に影響された流行は全国民に浸透するわけではない。国内向けテレビ放送はすべて有線テレビであって地上波は存在せず、有線テレビ視聴器具も一般国民の家庭にあることは稀であるため、テレビ放送を視聴できる特権階層の婦人達のみへの影響力にとどまっている。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 16:00 UTC 版)
『呉書』によれば、容姿について「押し出しが立派で風采が上がった」と記している。 性格は威儀を好み、揚州の名族出身であった陸遜・全琮の如きから貴公子に及ぶまで、皆な敬意を修めて謙粛であり、軽脱しようとはしなかった、呂範に対しては丁重に振舞った。また豪奢で派手好きの性格になっており、咎める者もいたが、呂範は仕事に励み法律も尊重していたため、孫権は呂範の功績を尊び、その素行について咎めることはしなかった。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 04:11 UTC 版)
人間ではないため少年の姿のまま何十年も生きていて、まだ幽霊族としても子供である。妖怪としては「子供の姿をしている」と人間からは見なされている。外見は長髪で左目を隠し、特徴的な髪型と古めかしい学童服と縞模様のちゃんちゃんこを着て下駄を履いている。学童服の素材は仙人の髭で、百年経っても破れない(「UFO宇宙突撃隊」では「防弾学生服」とも呼ばれる)。下着には天女の羽衣でできているといわれるシャツ、目玉親父が桃太郎からもらったといわれる鬼のパンツを着用している。モデルは、水木しげるの甥(当時3〜5歳)である。 髪の色は、原作では銀色に近い灰色だが、初のカラーアニメ作品第2作以降は茶色。 左目がなく隻眼である。理由については様々である。『墓場の鬼太郎』第2話では「元々潰れていた」とされるが、その後の「おかしな奴」では「墓から出て来た赤ん坊の鬼太郎を化け物だと思い込み、恐れた水木が放り投げ、地面を転がった鬼太郎は墓石の角に左目をぶつけ潰れてしまった」設定に変わっている(アニメ『墓場鬼太郎』ではこちらの描写を採用)。その後の『ゲゲゲの鬼太郎』時代では、作品や解説書によって異なる。貸本版では右目の無い(髪の毛に覆われず、目玉おやじが入り込んだりもする)鬼太郎が幾度も登場している。通常長髪で左目を隠している状態なのも、目の左部分には眼球が無いためである。 アニメの外見については、制作上の都合で顔が大幅に異なる回が多数ある。特に第1作は7つ(うち外部発注は4つ)、第2作は8つ(うち外部発注は6つ)の制作班で話数単位で制作発注していたために連携がとれず、話数によって鬼太郎の体型や顔・服装(服のボタンの大きさなど)が異なっている。 2007年公開の実写版映画では、左目は義眼であるが成人であるウエンツ瑛士の外見を考慮し、年齢は原作より上の350歳、一人称が「僕」ではなく「俺」、髪が茶髪ではなく銀髪(原作の灰色に近い)、身長が170cm等、様々な変更点がある。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:15 UTC 版)
自他共に認める「ブサイク芸人」として知られる。他には、たるんだ顎や突き出た腹などが特徴的。18歳までは普通だったが、本人曰く「19歳のお盆を境に変になった」とのこと。体型に関しては学生時代は細身で、デビュー時は標準体型より若干太り気味程度だったが、その当時でもコントでは肥満キャラ扱いされていた。27歳くらいの写真を見たおぎやはぎの矢作兼から「すごく可愛い」と言われたが、設楽から「こいつはもうこの世にいない」と言われた。顔は完全に母親似であり、何度かテレビ出演している。父親はロマンスグレーのダンディであり、退職後に家庭菜園やゴルフを楽しんでいるため日焼けしているとのこと。近年は後述の経緯もあって体重が100kg近くまで増加しており、典型的な肥満体となっている。顎がないことが度々取り上げられることがあり、本人も売りにしている。 トレードマークであるマッシュルームカットは、上述の映画『横浜ばっくれ隊 夏の湘南純愛篇』に出演した際に監督から指示されてそうしたことがきっかけとなっており、以降も髪型は変わることなく続いている。 年齢を重ねるに度におばさんのような体つき、顔になってきたことをネタにしている。設楽曰く、日村は国籍不明、年齢不詳、最近は性別もどちらか分からなくなってきたとのこと。 TOWER RECORDSにて写真を撮って貰った時はなぜか毎回ゴム人形のようになってしまうことを気にしている。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:51 UTC 版)
オールバックの髪型、サングラスがトレードマークである。上京してデビューした頃は、普通のメガネに七三分けという真面目なサラリーマンそのものの風貌であり、中洲産業大学教授を演じるときのみボサボサの髪型にしていたが、「顔に特徴がない」との理由で浅井慎平によるアイパッチをつけたキャラクターでデビューし、『空飛ぶモンティ・パイソン』の収録時に高平哲郎から「素顔では迫力がないから」との理由でレイバンのサングラスをかけさせられた。 初期はサングラスとアイパッチを併用し、1977年3月より放映された初のCM出演となるキヤノンのテレビCMに整髪料で固めた真ん中分けの髪型で出演し、撮影終了後そのまま帰宅し、翌日同じ髪型で仕事に行って以来、この髪型で通すこととなった。 『笑っていいとも!』では、開始当初は七三分けにアイビールックの姿で出演していた。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:32 UTC 版)
裴松之注『魏書』によれば、抜きんでた容貌を持ち、望み見ると侵しがたいほどの威厳があったという。また西晋の歴史家である孫盛は、曹叡は生まれつきの美貌に加え、床に届くほどの長い髪を持ち、「天姿秀出」と絶賛された、という話を古老から聞いたという。
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風貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 05:26 UTC 版)
鹿児島県指宿市には、浜崎太平次の銅像が立っている。しかし、『海上王濵﨑太平次傳』には、「由来翁は、写真に撮影することは忌んでいたので、かつて一度も之に接したことは無かったとは遺族の話である」とあり、太平次の写真は1枚も見つかっていないとされる。 以下のような証言が残されている。 太平次さんは頭の太くて顔も体もまた極めて太く。眉毛は長いほうで、眼球はクルクルとして大きゅうございました。 太平次さんは肥え太った性で、丈はあまり高いほうではなく、いささか金満家振った態度も無く、なかなかいい親方でございました。
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