風貌と性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 16:53 UTC 版)
「ハンス・アルブレヒト・フォン・バーフース」の記事における「風貌と性格」の解説
ハンス・アルブレヒト・フォン・バーフースは大きく力強い体躯の持ち主であり、身長は6フィート(もし「フィート」がプロイセンで通用していた単位、「フース」(Fuß)を指すのであれば約190cmである)を超えており、辛い軍務で鍛え上げられていた。彼については、下記のように描写されている。 「軍務の遂行は厳しく熱心であり、敵に対しては勇敢で物怖じせず、将帥として優れた稀な特質、とりわけ戦いや大がかりな機動における敵軍の誤りを即座に見抜き、乗じるという能力を備えていた。それは(中略)1689年のボイエル砦の占領や、1691年のスランカメンの戦いで特に示されたことである。彼は自身のように高い地位にある者の不正行為を見過ごすことが出来ず、すぐに敢然として抗うのであった。その証となるのはシューニンク中将との争いや、宰相ダンケルマンとコルベ・フォン・ヴァルテンベルク伯に対する彼の行動である。」 カール・ヒンリヒス(ドイツ語版)は彼について「堂々として粗野な、軍人らしく頑固な人物であり、トルコ戦争の従軍経験の輝きを帯びていた。」と記述している。一方、クルト・フォン・プリースドルフ(英語版)は彼を「模範的で勇敢な性格であり、兵からは愛され、喜んで従われた。バーフースは、戦時も平時も実績を示した将軍であった。」とした。同様にベルンハルト・エルトマンスデルファー(英語版)も「17世紀の流派が生んだプロイセン軍古参の将軍の中でも、バーフースが最も有能な者の一人であることには議論の余地がない。個人的な勇気や勤務態度と並んで、とりわけ戦機や敵の誤りを迅速に把握し、巧みに利用する能力が称賛を呼んでいるのである。」と記述している。テオドーア・フォンターネに拠れば「勇敢で軍人らしく、いかにもドイツ人的、反フランス的、(中略)貪欲だが賄賂は取らず、独善的だが不正ではなく、陰謀に巻き込まれはしたが本来、策謀を好まない。」人物であった。 彼の絵は4枚が伝わっている。 フランクフルトで1702年に発行されたマテウス・メーリアンの遺作、『テアートルム・エウロペーウム(英語版)』第14巻所収の、作者不詳の銅版画。これは線を引いた四角形に囲まれ、網掛けされた楕円形を背景に、鎧を身に着けた胸像として描かれている。枠の下部には紋章があしらわれている。16×12cmの銅版画に描かれたラテン語の文面は「JOHAN[ne]S ALBERTUS A BARFUS DOMINUS IN QUITTENEN. SERENISS[i]MI ELECTORIS BRANDENBURG[urgi]CI CONSILIARIUS BELLI INTIMUS ET CAMPI MERECHALLUS GENERALIS.(クヴィッタイネンの領主ヨハン・アルブレヒト・フォン・バーフース。ブランデンブルク選帝侯閣下の腹心の軍務長官にして元帥である。)」と書かれている。 1702年頃、キャンバスに描かれた作者不詳の油彩の肖像画。バーフースは黒鷲勲章のサッシュと星章を帯び、1702年中頃に辞したクールマルク近衛連隊の制服を身に着けた姿で描かれている。42×32cmの絵画は現在、シュパンダウ要塞に保管されている。 プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が描いた等身大の油彩画。 オットー・メンゲルベルク(ドイツ語版)が描いた等身大の油彩画。 1. 作者不詳の銅版画。 (1702年) 2. 作者不詳の油彩画。 (1702年頃) 3. プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が描いた油彩画。 (1736年)
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