風貌、身体的特徴について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:06 UTC 版)
「小林一茶」の記事における「風貌、身体的特徴について」の解説
一茶の風貌については、明治32年(1899年)頃から一茶研究を始めた束松露香が、一茶のことを知っているという柏原の古老から聞いたというインタビューが残っている。一茶は文政10年(1827年)に亡くなっているので死後70年以上経過しての情報となり、信憑性に疑問が無いわけではないが、身長はさほど高くなく、体格はやや横太り。顔つきは目が落ちくぼんでいて目じりは切れ長、額が広くて皺が深く刻まれ、頬はふっくらとして頬骨が張っている。鼻は小鼻が大きく、口は大きく唇も厚い。頭や手足は大きく、中でも手の指は太くて節くれだって見えたとしている。 このインタビューの内容は、残されている一茶の肖像画、そして木像と比較的よく一致している。また足が大きかったことは書簡からも明らかになっている。足が大きかった一茶は、雪道で履く藁ぐつが既製品では間に合わず、特注品を使わねばならなかった。一茶は預けておいた雪ぐつが心配になって「私の雪ぐつは特注品の大きなもので、失くしてしまったら作るのに時間がかかってしまうので、きちんと預かっておいて欲しい」と、頼んだ書簡が残っている。 一茶は若い頃は健康に恵まれていた。例えば6年余りに及んだ西国俳諧行脚時、厳しい旅となったことも再三あったにもかかわらず一度も風邪を引かなかったという。また一茶は極めて健脚であった。江戸から故郷柏原まで5泊6日で歩くことが多く、これは一日に10里あまりを踏破する計算となり相当な強行軍である。一茶を含め5人で江戸から柏原へ向かったこともあったが、一茶のみ足が速くて先に行ってしまい、途中であとの4人を待っていたこともあったという。 ただ一茶は歯が悪く、50歳前には全ての歯を失ってしまった。また50歳を過ぎると皮膚病、そして瘧(マラリア)にしばしば罹ったとの記録が残っている。58歳の時に中風に罹る以前、一茶の病気というのは歯、皮膚病、瘧くらいであり、中風に罹る以前の一茶はおおむね健康を保ってきたといえる。
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