故郷柏原とは? わかりやすく解説

故郷柏原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)

小林一茶」の記事における「故郷柏原」の解説

小林一茶故郷である北信濃柏原は、長野市中心部から北へ25キロメートル標高700メートル近い地である。周囲にある黒姫山飯縄山妙高山望め野尻湖も近いところにある。柏原北国街道宿場町であった北国街道宿場慶長16年1611年)に指定されており、柏原北陸方面信濃、そして江戸とを結ぶ交通の要衝として発展して物資中継地として地域中心となっていた。交通の要衝柏原には江戸からの文化流入してきた。江戸時代庶民文化として発展をしてきた俳諧も、18世紀半ば宝暦年間には柏原行われていたことが確認されており、柏原諏訪神社では例年歌舞伎相撲興行催されていた。 柏原日本でも有数豪雪地帯であり、冬になると大人の体がすっぽり埋もれてしまうほどになる。一茶柏原について詠んだ句の一つである これがまあつひの(すみか)か五尺 は、決し誇張ではない。また火山囲まれ柏原土壌火山灰質で土地痩せており、しかも標高比較的高い高原地帯であるため、江戸期水田よりも畑が多かったこのような厳し風土は、一茶作品大きな影響与えている。 一方夏季柏原は、晴れた日には高原地帯らしいさわやかな気候恵まれる。冬の厳しさばかりではなく夏のさわやかな気候も、一茶俳句世界育む要素となった蟻の道雲の峰よりつづきけん アリ延々と行列作っている情景見て、あの雲の峰からアリ行列伸びているのだろうか詠んだこの句は、夏、一茶故郷澄んだ高原大気生み出した句でもある。 北信濃戦国時代後期川中島の戦い代表されるように武田信玄上杉謙信激し勢力争い繰り広げるなど、戦乱続いた影響農地荒廃した。やがて北信濃戦乱終息すると農村の復興始まり江戸時代に入ると復興本格化し、新田開発盛んになっていった一茶先祖このような北信濃柏原移住してきた一農民であった一茶生きていた時代柏原戸数150戸、人口700であった一茶生まれ育った柏原特徴ひとつとして当時柏原住んでいた人々のほとんどが浄土真宗信者であったことが挙げられる一茶一族全て浄土真宗信者であり、父、弥五兵衛臨終の床にあって最期まで念仏唱え続けた敬虔な浄土真宗信者で、一茶自身も熱心な信者であった浄土真宗教えまた、一茶作品大きな影響与えている。 前述のように一茶生まれ育ち、そして生涯終えることになる柏原北国街道宿場町であった宿場人馬常備して公の業務備え義務負っていた。公の業務には佐渡金山産出され金銀輸送業務朱印状などの公文書輸送業務、そして加賀藩前田家代表される北陸方面大名参勤交代時、円滑に北国街道通行するように人馬手配するといったものがあった。これらの業務負担決して軽いものではなく見返りとして地子免除という特典与えられた。柏原宿ではこの地子免除の特典受けられる北国街道沿いの約878メートル地域伝馬屋敷呼んだ伝馬屋敷境界線には土手設けられており、宿場発展によって伝馬屋敷の外にも家々立ち並ぶようになっても、地子免除の特典土手内側伝馬屋敷住民にしか許されなかった。後述のように勤勉であった一茶の父、弥五兵衛この伝馬屋内の家を購入した宿場町義務として課せられた公の業務負担は重かったが、一方で民間物資輸送通行者も北国街道盛んに利用するうになる柏原宿街道沿いに所狭しと家々が立ち並び活況呈していた。宿場沿いの家々多くは馬を飼っており、一茶の父も農業傍ら持ち馬を使用して北国街道を通る物資輸送業を営んでいた。 江戸時代柏原で一番の名家は、名主世襲した中村左衛門家と本陣世襲した中村左衛門であった。両中村家江戸時代初期中村利茂(肝煎清蔵)を共通の先祖を持つ親戚同士であった中村左衛門家は慶安2年1649年)に仁之倉新田寛文5年1665年)には熊倉新田中村左衛門家は明暦2年1656年)に大久保新田寛文2年1662年)には赤渋新田開墾主導した新田開発成功に伴い柏原発展していった。なお、本陣中村左衛門家は与右衛門家、徳左衛門家、兵左衛門家といった柏原有力な家柄となる分家輩出した。なお、中村左衛門家は一茶最晩年思いもかけぬ形で一茶影響与えることになる。

※この「故郷柏原」の解説は、「小林一茶」の解説の一部です。
「故郷柏原」を含む「小林一茶」の記事については、「小林一茶」の概要を参照ください。

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