故郷秋田から上京就職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:49 UTC 版)
雄勝町立秋ノ宮小学校(現・湯沢市立雄勝小学校)を卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現・湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、『フライデー』から「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時「教員にだけはなりたくない」と考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後上京する。 「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、東京都板橋区の段ボール製造工場(社名未詳)で勤務していた時代には秋田時代と変わらぬ日々を過ごし、現実の厳しさを痛感して2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学に入学するまでの経緯については、報道によって食い違いが見られる。 朝日新聞記者の大鹿靖明が2009年に菅の両親に取材を行った際の記録によれば、工場を退職した菅は秋田の実家に戻り、大学進学を目指して受験勉強を始めた。その傍ら、役内川のアユ釣り大会で優勝し、秋田県知事から竿を贈られている。一方、一部週刊誌では、菅は東京に留まり、朝は築地市場、夜は新宿区の飲食店でアルバイトをして生活し、その合間に受験勉強をしていたとされている。
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