故障からの復活とは? わかりやすく解説

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故障からの復活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 13:22 UTC 版)

栃ノ心剛史」の記事における「故障からの復活」の解説

2014年1月所を以って35場所維持した関取の座から幕下陥落した1月場所目前にした栃ノ心ぶつかり稽古再開し医者からのゴーサイン得たが、師匠から時期尚早との判断下され結局1月場所全休した。後に栃ノ心は、「1か月準備して30秒で話が終わったでも、あの時無理に出ていたら、もう相撲をやめていたよ。しっかり治せた。師匠見ていてくれた」と述懐している。休場中は引退考えていたが、春日野から「まさかやめること考えているんじゃないだろうな。バカじゃないか。あと10年相撲取らないダメなんだよ」とハッパ掛けられ続投を選ぶ。2ヶ月入院体重は177kgまで増えてしまい、さらに退院して部屋に戻るとちゃんこおいしくて食べ過ぎてしまったので前年11月場所からダイエット取り組み体重が減るまでキャベツ千切りレタスリンゴだけしか食べなかった。復帰向けた稽古については、朝、四股スクワットで汗をかき、午後はすぐ近くの海に行って砂浜歩き回った退院前より27kg落ちた体重徐々に稽古をやりながら、160kg台にまで仕上げた手術リハビリ経て半年ぶりに稽古場立った際には部屋三段目力士にも勝てなくなっており、悲しくて涙が止まらなかったが、前述のように師匠叱咤されて奮起した3月場所は西幕下55目まで番付落としてしまったが、4場所ぶりに土俵復帰して7戦全勝復活優勝決めた。続く5月場所も西幕下6目で7戦全勝連続優勝となり、7月場所十両復帰した。 この7月場所千秋楽に1敗でトップに立つ逸ノ城黒星付け、さらに13勝2敗同士で行う優勝決定戦逸ノ城再度対戦し、これにも勝利して見事十両優勝を果たす。直後インタビューでは本割決定戦2番こなしても右膝に痛み現れないと復調主張し、さらに「やめなくて良かった。次は幕内に戻るように頑張る」と語った。続く9月場所は西十両5目の地位大相撲史上5人目となる15全勝での十両優勝果たした幕下から4場所連続優勝で再入幕果たした11月場所11勝4敗と好成績残し、この場所では自身4度目となる敢闘賞受賞2015年1月場所は自己最高位に近い西前筆頭まで番付を戻すも場所直前部屋内でインフルエンザ流行したこと(後述)もあって振るわず12日目には負け越し確定し、場所を6勝9敗で終えたが、5日目大関豪栄道破った。なお、大関戦での白星は、2013年3月場所4日目琴欧洲以来。翌3月場所は、8日目横綱日馬富士破り自身初の金星獲得12日目には大関稀勢の里破った千秋楽同郷臥牙丸破り勝ち越し決定5月場所では西前筆頭で9勝6敗の成績挙げたが、翌7月場所三役から陥落する力士1人も居らず、東筆頭宝富士(こちらも9勝6敗)は小結昇進した栃ノ心東前筆頭止まりで、三役復帰できなかった。西筆頭で9勝を挙げながら三役上がれなかったのは41年ぶり史上3例目だったが、その7月場所も8勝7敗の勝ち越し終えると、翌9月場所5度目小結昇進果たした幕下55目まで陥落した後の三役復帰は、低地位からのカムバック記録として戦後1位であり、また、5度目にして初の東となった過去4場所は全て西)。その場所は10勝5敗と三役では初となる勝ち越し果たし敢闘賞受賞した。しかし両関脇も勝ち越したため新関脇昇進はならず、翌11月も東小結据え置かれた。この場所は7勝8敗と負け越した2016年1月場所も連続負け越し三役から落ちた3月場所負け越した西前頭4目とした5月場所10勝を挙げ右四つの形と場所中に決めた吊り出し評価され自身初の技能賞を受賞。翌7月場所一期に西関脇昇進した。これにより、「新小結経験した力士が一旦幕下まで落ちその後新関脇になったのは昭和以降では初めて」という記録作った。この場所と次場所は負け越してしまうも11月場所ではこの年年間最多勝稀勢の里9月場所続いて倒す活躍見せ10勝をあげた。 2017年1月場所は西小結で場所に挑む初日から連敗。さらに5日目正代戦で右膝外側半月損傷怪我をしてそのまま休場となった6日目髙安戦は不戦敗一気東前10目まで番付下げた3月場所も膝の状態が芳しくなく序盤から苦し相撲続いた。4勝7敗と後がない状態から3連勝して千秋楽望み繋いだが、遠藤敗れて7勝8敗だった。5月場所は先場所負け越しながら番付据え置きという珍しい形で先場所に続いて東の10目で迎えた。この場所は痛めた膝の状態が大分よくなり、中盤に5連勝をするなど好調だった12日目までに3敗していたため優勝争いに名前が出ることはなかったが、終わってみれば12勝3敗で照ノ富士並んで幕内2番目の好成績だった。しかし上位での実績があることや他に好成績力士多かったこともあり、三賞候補にも上がらなかった。大関経験のない平幕力士12勝を挙げながら三賞受賞できなかったのは大相撲野球賭博問題による謹慎十両陥落し、この場所再入幕だった2010年11月場所の豪栄道以来、これを除けば1962年11月場所大豪以来となる。7月場所東前2枚目の地位土俵上がり、この場所はそれまで全敗であった稀勢の里から金星を奪う活躍見せた。「右四つなりたかったけど、前(まわし)のすごくいいところ取れたからね。頭をつけたのたまたまだけど」と取り口説明する声も弾み、さらに「懸賞31本? こんなに初めてだよ。付け人にわけてあげないと」と喜び見せた。この場所は9勝6敗の勝ち越し7月場所三役以上から平幕落ち星の力士が琴奨菊1人かいなかったため、9月場所はわずか1枚上昇東前筆頭止まり9月場所は膝の状態が思わしくなく、初日から5連敗喫するなど10日目時点で僅か1勝しか出来なかった。終盤戦下位力士との取組増えたことでやや星を伸ばしたが4勝11敗と大きく負け越した11月場所14日目に勝ち越し決めた

※この「故障からの復活」の解説は、「栃ノ心剛史」の解説の一部です。
「故障からの復活」を含む「栃ノ心剛史」の記事については、「栃ノ心剛史」の概要を参照ください。

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