故障との闘い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 01:30 UTC 版)
順調にキャリアを重ねているかに見えたモローだったが、その陰では故障に悩まされる日々が続いていた。2004年には踵の手術を受けた。踵の故障は4年間にわたってモローを苦しめていたもので、これ以上無理はできないと手術に踏み切り、その後1年間も踊ることができない状態であった。最初の1か月は足を地面につけることもできず、5か月間の軽いリハビリテーションを経て、次の6か月は負傷した部分だけではなく脚全体の筋肉の衰えを回復させる訓練に取り組んだ。 バレエ団を離れて過ごした時期について、モロー自身は「精神的にもつらい日々だった」と回顧していた。その期間内にモローは「ダンサーとして何をやりたいのか、どんな方向に進みたいのか」という点について考察を深めていた。このときの負傷は、特段の後遺症も残らずに治癒し、2004年12月のフォーサイス振付『パ/パーツ』が復帰の舞台であった。モローは舞台への復帰を嬉しいこととしながらも、不安があったといい「ダンサーにとって脚の手術はとても大きなこと。もとの状態に完全に戻るまでは少し怖かったです」とインタビューに答えていた。 次にモローを襲ったのは、膝の故障であった。2009年から約3年にわたって痛みに耐えつつも身体のトレーニングを行い、精神的にも絶望感を味わうなど気持ちの浮き沈みを経験したという。そのような状況の中で、モローは膝のリハビリと並行して映画学校にも通っていた。モローによれば、もうダンスは終わりだという思いから以前から興味を抱いていた演出を学ぶことにしたとのことであった。2か月間学校に通ってみていろいろと興味深いことを学んだモローであったが、当時33歳の彼がその後4年勉強してみても映画の仕事に就けるのか、そもそも適性があるのかという疑問が浮かんできた。そのうち膝の具合が快方に向かったため、映画学校には通わなくなった。この時期に膝の問題から離れて別のことを考えるのが、彼の身体にとって結局良い結果をもたらした。モロー自身も「ダンスから一度離れることで、また自然にダンスに対する自分の情熱を見つけることができたわけです」と述懐していた。 モローは当時の芸術監督ブリジット・ルフェーヴル(fr:Brigitte Lefèvre)と相談した上でアデュー(引退)公演を意図して、2012年5月に3年ぶりの舞台としてヴァルツ版『ロミオとジュリエット』再演に出演した。しかし、舞台で踊っているうちに膝の調子はだんだんとよくなってきたため、アデュー公演を撤回して現役ダンサーとして踊り続けることを選んだ。モローは「これからの自分がいまから楽しみです」と、再び開けてきた未来への希望を語っていた。モローの実績に対して、2014年にフランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエが授与された。
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