故障による不調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:01 UTC 版)
「ローラン・フィニョン」の記事における「故障による不調」の解説
ところが1985年、フィニョンはシーズン当初から膝の故障に悩まされ、ほとんどレースに出ることなくシーズンを終えた。イノーのダブルツール達成を、戦うことなく許してしまったフィニョンは1986年、チームが解散したルノーからシステムUに移籍した。 同年はフレッシュ・ワロンヌを制する。そして意気揚々と挑んだツールにおいて、序盤はイノー、グレッグ・レモン擁するラ・ヴィ・クレール勢を圧倒した。ところが膝の古傷はまだ完全には治っていなかった。そのことが次第にステージを消化していくうちに露呈してしまう。ピレネー越えの最初のステージで、イノーは単独で再三アタックをかけ、完全にフィニョンを潰した。イノーのこのアタックに対し、明らかにレモンに対しての挑発行為ではないかという声も上がり、レモンもイノーの行動に不快感を寄せるが、フィニョンはこのステージをもってリタイアした。 フィニョンはその期待を裏切り続けていく。1987年のツールでは序盤で大ブレーキを起こして早々に優勝争いから脱落し、途中でチームメイトのアシストに回る始末であった。 翌1988年はミラノ~サンレモを制し期待されるも、ツールでは昨年に引き続き序盤で大ブレーキとなり、途中リタイアしてしまった。
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