小動物、植物などの句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶の句には小動物、植物を詠んだものも多い。後述するように一茶の句の主要テーマは「生」であると考えられており、小動物や植物、そして蚤や蚊、蠅などといったいわゆる害虫までもしばしば句としている。また一茶が信仰篤かった浄土真宗の教えや、生来の動物好きも影響していると考えられる。また蚤や蚊、蠅という人に嫌われる題材をあえて多用する点などは、一茶自身の姿の投影であると見られている。 菜の塵や流れながらに花の咲く 人にごみとして分別されて川に捨てられた菜が、しぶとく根付いて花を咲かせる様を賞賛したこの句は、逆境にめげずに生き抜く小さな命を詠むという、一茶の主要テーマの「生」を描きだしている。 ありのままの姿で生き抜くことを賞賛する一茶は、また動植物の姿を通じて、行き過ぎた人為に鋭い批判の目を向ける。 かすむ日や目の縫われたる雁が鳴く 春霞のうららかな日に、太らせるために狭く暗い場所に閉じ込められた上に、動き回らないように目を潰され、縫われた雁が鳴いている姿を詠んだ句である。雁はやがては富裕層の酒食に供される運命にあり、一茶は凄惨な雁の運命に深く同情するとともに、人間の身勝手さ、業の深さまでも描き出している。 また一茶は猫好きであった。故郷柏原に永住して結婚した後には猫を飼っていた。当然数多くの猫の句を詠んでおり、生涯300句を超えるとされている。 猫の子がちょいと押さえる落葉かな 風に舞う落ち葉を押さえようとする子猫のかわいらしい仕草をそのまま詠んだ句であり、猫に限らず愛情を持って小動物を詠んだ句の存在は、一茶が多くの人々に親しまれる大きな要因となった。 その一方で、一茶は 慈悲すれば糞をするなり雀の子 のような句も詠んでいる。この句では雀の子を可愛がっていたら、糞をされてしまった。気持ちが仇になってしまったと詠んでおり、一茶が小動物に対する愛情とともに、その行動に文句をつける感覚も持ちあわせていたことがわかる。また小さいとはいえこのような矛盾を見逃せないのも一茶の特徴のひとつであった。
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