戦前から戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/16 07:30 UTC 版)
「アルファロメオ・158」の記事における「戦前から戦後」の解説
1938年、アルファロメオはアルファ・コルセを設立し、ワークス活動を再開した。158はデビューレースのコッパ・チアーノでエミリオ・ヴィロレージのドライブにより優勝した。1939年は、イタリア統治下のリビアで開催されるトリポリGPの優勝が期待されたが、メルセデス・ベンツが急遽送り込んだW165に勝利を奪われた。158は戦争によりモータースポーツが中断する1940年まで活動し、戦時中はチーズ工場に隠されて戦火を免れた。 終戦後の1946年、アルファロメオはGPレースに復帰し、3年間にわたり各地で無敵の13連勝を続けた。1947年には「自然吸気エンジンは4500cc、過給式エンジンは1500ccまで」とするF1規定が制定され、158はF1マシンとなった。 1949年、アルファロメオはワークスドライバーのアキッレ・ヴァルツィ、ジャン=ピエール・ウィミーユ、カルロ・フェリーチェ・トロッシを相次いで亡くすという不幸に見舞われ、この年のレース活動を休止した。その間、エンツォ・フェラーリが創設したフェラーリが台頭したが、フェラーリ・125F1は158と同じくコロンボが設計したマシンだった。
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