戦前から大東急解体まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:18 UTC 版)
「東急バス川崎営業所」の記事における「戦前から大東急解体まで」の解説
川崎における東急バスの幕開けは昭和初期のことであり、2つの前身事業者による路線を挙げることができる。1つは、1933年(昭和8年)に東京横浜電鉄が直営バス事業を再開するにあたり買収した溝ノ口乗合自動車の路線で、川崎 - 溝ノ口間を府中街道経由で結ぶものである。もう1つは、玉川電気鉄道が1932年(昭和7年)に個人事業者の八木哲から買収した路線で、丸子 - 新丸子駅 - 勝田間を中原街道経由で結ぶものと、溝ノ口 - 市ヶ尾 - 中山駅・柿生駅間を大山街道経由で結ぶものであった。 「東急バス#年譜」および「東急バス#営業所の変遷」も参照 1940年(昭和15年)6月12日、東京横浜電鉄小杉営業所として開設。これは東京横浜電鉄が溝ノ口乗合自動車を買収した際に設置した溝ノ口営業所を、玉川電気鉄道の吸収合併を経て新丸子へ移転し、さらに小杉御殿町へ移転して開設したものである。小杉御殿町への移転時に小杉営業所の名称となった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大東急時代に京浜電気鉄道から引き継いだ川崎営業所を、小杉営業所へ統合した上で[要出典]、川崎営業所へ改称した[いつ?]。 戦後、1948年(昭和23年)の大東急再編成にあたり、京浜電気鉄道から引き継いだ川崎住宅線は、京浜急行電鉄には事実上受け継がれず(同線は休止のまま引き継ぎ、そのまま廃止された)、その後に京急グループ入りした川崎鶴見臨港バスが実質的に引き継いだ。この結果、東急バスは川崎市の国鉄東海道線以南から撤退した。 詳細は「大東急#バス営業所」、「京浜急行バス#営業所の変遷」、および「川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所#川24系統(鋼管循環線)・川28系統(京町循環線)」を参照 神奈川県内の営業所は、終戦直後までは当営業所の他に、やはり東京横浜電鉄から引き継いだ神奈川営業所が横浜市に置かれていたが、神奈川営業所は1947年(昭和22年)に休止された。 以後、1962年(昭和37年)に日吉営業所が開設されるまでの間は、神奈川県内のほぼ全路線が川崎営業所に集約されていた。しかし川崎市・横浜市にまたがる大規模な路線網も、終戦直後は大半が休止状態であり、1950年代中頃まではその復旧が優先された。
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