戦前および戦中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:10 UTC 版)
少女漫画登場前、大正の抒情画ブームを受けて抒情画家を表紙や挿絵に採用する複数の少女誌が人気となっていた。抒情画は「眼が大きく、口が小さく、髪の豊か」な絵柄を特徴としていた。少女誌には抒情画と抒情詩を組み合わせた詩画集も掲載されていた。詩画集は後の少女漫画誌における「イラストポエム」の前身に当たる。 その後、少女誌に少女向けの漫画が登場した。1935年には『少女倶楽部』(大日本雄弁会講談社)に少年漫画「のらくろ」で有名な田河水泡の『窓野雪夫さん』やその元内弟子である倉金章介の『どりちゃんバンザイ』が連載されはじめた。『少女倶楽部』は「良妻賢母」の育成を編集方針にしており、掲載漫画もその影響を受けていたとされる。 1937年には『少女の友』(実業之日本社)に挿絵画家であった松本かつぢの『くるくるクルミちゃん』が連載され始め、1940年には女性作家の長谷川町子の『仲よし手帖』も登場した。元々『少女の友』は対抗誌と異なり「夢の世界」「憧れの世界」を提供していたとされる。 しかしながら、1937年に大東亜戦争が勃発すると、1938年に社会主義的な革新官僚らが中心の企画院によって国家総動員法が策定され施行され、雑誌浄化運動が始まり、少女誌では漫画や抒情画などが「低調」や「主情的ニ偏スル」などとして注意を受けることとなった。
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