戦前から終戦までの歴史と変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:35 UTC 版)
「家族」の記事における「戦前から終戦までの歴史と変容」の解説
戦前の日本の家族は家制度に基盤をおき、地域社会はもとより国家とつながる「イエ」を形作っていた。「家制度」は16世紀に成立し、「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。家父長権の相続(家督相続)、本家・分家などの階層性、それらを対外部的にひとまとまり(ウチ)としてとらえる心性・制度であった。また、家はひとつの経営体でもあり、その維持と継続が最も重視された。このため、長子、主に長男は家にとどまって跡取りとなり配偶者をめとり、先代が死去すると代わって家長となった。「家を継ぐ」という観念がこの時代に発生したことからもわかるとおり、家は跡取りの単独相続であり、また財産は家長ではなく家そのものに属していた。農村部においては、次男や三男など長男以外の男子や女子は、富農層では分家として財産の一部を分与され村内に一家を立てることもあったが、中農層以下のものは独立や婚姻によって村を離れることが多かった。こうした家は地域集団や共同体の基本的な構成単位であり、周囲との密接な関係の上で存続していた。一方離婚は比較的自由であり、この傾向は明治時代に入っても続いた。1883年には人口1000人あたりの普通離婚率が3.39となり、おそらく世界最高の離婚率となっていて、これは1896年の民法制定で離婚が抑制され激減するまで続いた。
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