戦前から戦時統合まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 07:47 UTC 版)
「京浜急行バス鎌倉営業所」の記事における「戦前から戦時統合まで」の解説
京浜電気鉄道は、1930年(昭和5年)の半島一周自動車商会発足以来、三浦半島で乗合自動車を営業する傍ら、周辺事業者の買収・系列化を進めていた。鎌倉周辺への進出は、1935年(昭和10年)8月に鎌倉乗合自動車を傘下に収めた事により始まる。 鎌倉乗合自動車は1930年(昭和5年)の創業で、鎌倉駅 - 大船駅、鎌倉駅 - 坂ノ下、大町 - 材木座、大町 - 上河原に営業路線を有していた。京浜電鉄は、同社を傘下に収めた後、三浦半島周辺における系列乗合自動車会社の事業統一を図るため、1938年(昭和13年)1月1日付で同社と半島自動車(半島一周自動車商会が改組)、臨海自動車の3社を合併し、湘南半島自動車を設立した。 「京浜急行バス逗子営業所#京浜一元化へ」および「京浜急行バス三崎営業所#京浜一元化への道」も参照 同じ昭和の初め頃、大船 - 江ノ島口間においては、日本自動車道が自動車専用道路を築造し、同区間および鎌倉山 - 大仏前間に乗合自動車を運行していた。同社は1931年に江ノ島鎌倉遊覧自動車を買収してその路線を継承、さらに鎌倉駅 - 大塔宮、鎌倉駅 - 海蔵寺線を新設するなど、鎌倉駅周辺にまで路線網を拡張した。京浜電鉄は、鎌倉乗合に引き続いて1938年に同社の株式も取得し、系列下に収めた。 その後、戦時中の1941年(昭和16年)に鎌倉周辺の交通機関の統制を図るべく、湘南半島自動車、日本自動車道、江ノ電、東海道乗合自動車(神奈川中央交通の前身)の4社合併が議論された。しかしこれは決着せず、結局京浜系列の2社合併のみが実施されることとなり、同年5月1日、日本自動車道は湘南半島自動車に合併した。 さらに、半年後の1941年11月には京浜電気鉄道が湘南電気鉄道と湘南半島自動車を合併し、鎌倉・三浦半島周辺のバス事業が直営化された。 詳細は「神奈川中央交通#自主統合の流れ」を参照
※この「戦前から戦時統合まで」の解説は、「京浜急行バス鎌倉営業所」の解説の一部です。
「戦前から戦時統合まで」を含む「京浜急行バス鎌倉営業所」の記事については、「京浜急行バス鎌倉営業所」の概要を参照ください。
- 戦前から戦時統合までのページへのリンク