京浜一元化への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 17:18 UTC 版)
「京浜急行バス三崎営業所」の記事における「京浜一元化への道」の解説
この頃には、横浜市から南下して三浦半島を一周する形で三崎までの鉄道を建設する構想が持ち上がり、湘南電気鉄道として事業免許を取得した。 詳細は「湘南電気鉄道#年表」および「京浜急行電鉄#未成線」を参照 湘南電鉄の親会社となった京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)は、鉄道先行という意味で三浦半島南部でのバス事業に参入することを決めるとともに、乱立していた事業者を整理する方針を打ち出し、1929年(昭和4年)、まず三浦半島一周自動車を買収して半島一周自動車運輸商会と改称する。続けて臨海自動車を傘下に収め、半島一周自動車運輸商会を独立法人化した半島自動車を設立する。そして、1938年(昭和13年)、鎌倉営業所の前身となる鎌倉乗合自動車を含めた3社で合併、湘南半島自動車にまとめられた。臨海自動車と半島自動車の拠点を合併してできた三崎町の新しい拠点が、現在の三崎営業所の直接の前身ということになる。 詳細は「京浜急行バス#湘南半島自動車」および「京浜急行バス鎌倉営業所#沿革」を参照 一方で、1927年(昭和2年)、堀内営業所や衣笠営業所の系譜につながる横須賀自動車が横須賀駅から浦賀、久里浜を経て上宮田(現在の南下浦町)まで行く乗合自動車の運行を開始する。この路線は湘南電鉄開業後の1932年(昭和7年)、三崎まで延びて臨海自動車、三浦自動車の路線と競合することになる。 詳細は「京浜急行バス#湘南電気鉄道のバス事業」および「京浜急行バス久里浜営業所#浦賀 - 三崎間の乗合自動車」を参照 1933年(昭和8年)、京浜電鉄社長望月軍四郎が横須賀自動車を買収し、1936年(昭和11年)、湘南電鉄に売却。翌1937年(昭和12年)、横須賀自動車は湘南電鉄に合併される。三浦自動車は最後まで独立運営を維持しようとしたが、1939年(昭和14年)に湘南電鉄傘下に入り、1940年(昭和15年)、湘南半島自動車に合併された。 この頃、神奈川中央交通の前身の一つである東海道乗合自動車が、湘南半島自動車に統合を持ち掛けていて、もし実現していれば三崎営業所は戦後、京急ではなく小田急グループに行く可能性もあった。この話は京浜電鉄が猛反対し破談となる。そして、1941年(昭和16年)、湘南電鉄と湘南半島自動車は京浜電鉄に吸収合併。三浦半島南部のバスは京浜に一元化された。 詳細は「神奈川中央交通#自主統合の流れ」および「東急バス#東横・目蒲の合併 - 大東急へ」を参照 これによって、半島西回りの横須賀三崎線は区間便と位置づけられる衣笠営業所の長井線・市内線と共に、早くも現在までつながる路線の基礎が完成。東回りの三浦海岸線も、久里浜営業所の浦賀線や堀内営業所の観音崎線につながる形で基礎ができた。 「京浜急行バス久里浜営業所#浦賀線」および「京浜急行バス衣笠営業所#長井線」も参照
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