京浜アスレチックス・野手
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「ストッパー毒島」の記事における「京浜アスレチックス・野手」の解説
佐世保 仁(させぼ ひとし) 背番号47→31(1997年から)、右投げ右打ち、捕手。 経歴/?高校-京浜アスレチックス(1993年4位) 甲子園常連高校から1993年ドラフト4位で入団。入団後から怪我に悩まされ続けたが、後述の渋谷の放出後、2軍で彼の実力を熟知していた三木監督に抜擢された。素行不良の選手が多いアスレチックスの中では珍しく、メガネがトレードマークの冷静な頭脳派で、毒島ら一癖も二癖もある面々が揃った投手陣からの信頼も厚い。一方、内面では静かに燃えるタイプで、ガッツあふれるプレーが持ち味。趣味は読書。 チャンスに強い打撃が武器の中距離打者。捕手ながらクリーンナップを任され、打率3割を記録する。1997年シーズンはチームで唯一オールスターに出場しているが、2戦とも代走としての起用だった。優勝争いをしたシーズン終盤では、ここぞという場面に打ち、加瀬からは「風格すら漂っている」と評される。シーズン残り3試合目で小池秀郎から頭部死球を受け昏倒し、今季絶望かと思われていたが、病院を抜け出して最終戦のダブルヘッダーに強行出場し、両試合共に決勝打となる本塁打を放っている。 1997年シーズンから自ら希望してマイク・ピアッツァと同じ背番号31に。劇中で城島健司に「同郷」と言っているが、名前に因んだジョークなのか本当に佐世保市出身なのかは不明。 三条 洋二(さんじょう ようじ) 背番号69→1(1997年から)、右投げ左打ち、二塁手。 経歴/社会人-京浜アスレチックス(1993年1位) 社会人から1992年ドラフト1位(松井秀喜の外れ1位)で入団するも、片平前監督とグラブさばきについて揉めて以降2軍暮らしだった。本職は遊撃手で、火野の守備を考慮して二塁にコンバートされているが、日本最強と言われる守備力と、打つ前から投球のコースで打球の方向を判断できるセンスを兼ね備えた守備のスペシャリスト。一塁手が抜かれたライナーをダイビングキャッチするなど、信じられないほどの守備範囲と超ファインプレーの連発で、本職ではないポジションでアスレチック投手陣を何度もピンチから救ってきた。三条の守備を見た毒島貴志も「あいつこそ、まっ先にメジャーに行くべきだな」と賞賛し、三木監督の孫は「プロ野球で見る価値のあるのはイチローと三条の守備だけ」とまで言っている。打撃は並み以下だが、走塁のセンスも高く、盗塁を少なくとも24個決めている。 普段は明るく遊び人を装っており(アマチュア時代は本当に遊び人だったという噂もある)、事ある毎に「徹マン明けで・・・」「昨夜は(呑み屋を)3件ハシゴしちゃって・・・」などと吹聴しているが、陰で努力を重ねる苦労人。自分が練習している姿を見られることを極度に嫌い、試合後一人こっそりと練習しているが、その努力はチーム内でかなり知られている様子。しかし、優勝を狙うチームの影響でバントを失敗した翌日の練習で、チームメイトに見られながら黙々とバント練習をしたことも。海岸で練習していた際、わざわざ岐阜の工場まで足を運び作った愛用のバット(見た目からポッキーバットと呼ばれる)を、いらいらしていた毒島にへし折られたことがある。名前と風貌のモデルはプロレスラー・安生洋二。 火野 勝(ひの まさる) 背番号38→6(1997年から)、右投げ右打ち。遊撃手。25歳。 『BECK』の主人公・コユキ達が通っていた一枝学園高校出身。常に口が半開きのぼんやりした面構えで、「んああ」が口癖。その知性を感じられない容姿のために、片平前監督の構想から真っ先に外れたため、2軍暮らしが続いていた。 脅威的な長打力を持つ天性のホームラン・アーティスト。かなり勝負強いが三振も多い。守備にも難がありトンネルなど単純な失策や暴投が多く、投手陣の士気を下げているが、スピードガンで138km/hを計測するなど肩は良い。小学生のときからずっとショート一本でやっていたが、小野寺の加入や打撃に専念させるという首脳陣の意図により、1997年シーズン序盤にサードにコンバートされた。しかし見た目とは裏腹に繊細な男だったため、逆に極度の打撃不振に陥る。スランプ中は山畑コーチにしつこいほどの熱血指導を受けるも結果的には失敗し、精神的に追い込まれた火野は2日間失踪する騒ぎを起こしてしまった。その後、ショートへ再コンバートされ、勝負強さを取り戻す。 ファンには人気があるようで、レギュラーになった1997年シーズン終盤には、スタンドに火野くん人形(後述)が登場していた。名前とプレースタイルのモデルは宇野勝。 川岸 大介(かわぎし だいすけ) 背番号7、右投げ右打ち、一塁手兼外野手。22歳。 経歴/大学-京浜アスレチックス(1995年2位) 東都大学リーグで3年次まで活躍したものの、4年次はベンチウォーマーに留まる。しかし小暮の推薦により、球団が敢えて逆指名を使いドラフト2位で入団。 甘い球を連続で空振りした後、厳しいコースへの決め球を本塁打にする事が多く見られ、いつ、どんな球を打つかは予測不可能という確実性のないスラッガー。作中では未完ならぬ『未知の大砲』と称されている。プロ入り後は外野手にコンバートされたが、フィールディングに難があり、また一塁には山本恒男がいることから指名打者として出場することも多い。 愛車はベンツだが、タイムリーエラーをした翌日に平気な顔で球場に現れたところ、その態度が気に食わなかった毒島によりエンブレムを壊された。名前のモデルは岸川勝也。 ビル・ラズロック 背番号5、右投げ右打ち。外野手。46歳。 年俸3億円で1997年シーズンに入団した助っ人外国人。メジャーで3度の首位打者に輝いた大物との触れ込みだったが、46歳と高齢すぎてほとんど役に立たず、同年8月には早々と解雇が決定する。しかし終盤になってかつての名選手の実力を見せる。風貌と経歴を逆手に取ったセーフティバントを仕掛け、たまにチームに貢献するも成功率はいまいち。牧場を2つも経営している「アメリカンドリームを体現した男」。 水野晴郎似の風貌から「ハルオ」の通称で呼ばれる。チームに溶け込もうとするなど、メジャーの大物らしからぬ気さくな人物。だがシーズン終盤は新人時代以来のマイナー(2軍)落ちに対し、怒りが隠しきれていない表情に。また山畑コーチを嫌っている。 三木の発言によると1997年10月に限っては打率が4割近く、それ故にシーズン最終戦では4番に大抜擢され、意地のポテンヒットを放つ。モデルは似たような経歴で日本球界入りしたビル・マドロック。 本上 博史(ほんじょう ひろし) 背番号00、左投げ左打ち、外野手。22歳。 経歴/社会人-京浜アスレチックス(1996年2位) 熊本県出身の1996年ドラフト2位ルーキー。熊本最大の暴走族の元リーダーで気性が荒く、茶髪のリーゼントに眉無しのヤンキー顔の容姿でとてもプロ野球選手には見えない上、社会人出身にもかかわらず先輩にタメ口をきく礼儀知らず(牧曰く「こんな奴入団させるのはウチだけ」)。暴走族のリーダーを務めていただけあって後輩の面倒見はよく、同期入団で年下の小野寺とよく行動を共にしている。小暮曰く「イッパツもある走・攻・守三拍子そろった大型外野手」で1年目からアスレチックスのトップバッターを務める。 ガッツ溢れるプレーが身上だが、打撃は粗く、積極的に盗塁を試みるが成功率は低い。ただ、シーズン終盤は配球を読んで打ち、チックくんに「今後7年は一番を任せられる」と言わせるほどの成長を見せる。1997年リーグ終盤では、バイク事故による負傷を隠して気合で出場する。 遠征はバイク で移動するのがポリシーで、罰金を払ってまでこだわっている。モデルは新庄剛志か。打撃フォームは佐々木誠似。 加瀬 英二(かせ ひでじ) 背番号22、右投げ右打ち、三塁手。36歳。 経歴/池永高校-大学-京浜アスレチックス(1982年1位-94)-広島東洋カープ(1994-1997)-京浜アスレチックス(1997-) 三木監督が「入団したときから、打撃フォームはいじるとこが無く怪我をする前までは4割を打つのはコイツだと思っていた」と述べるほどの打撃の天才。キャプテンとして高校では夏の甲子園優勝、大学でも日本一を経験し、ドラフト1位で入団。期待通りにシーズン3割を6年連続で達成したこともある一流選手だが、数々の女と浮き名を流す球界一の絶倫男ぶりでも有名で(女子高生を妊娠させたとも)、アスレチックスに再入団した早々にチアガールと性行為に及んでいる。親子関係の認知を求められて裁判を起こされるなど、私生活の問題で前監督の片平に嫌われ、広島東洋カープへ放出されるが、チーム改革のため、元「ミスターアスレチックス」のリーダーシップを期待した三木監督に3年ぶりに呼び戻される。 長いプロ人生で優勝争いに関わることはほとんど無かったが、野球知識は豊富で、チームのミーティングで勉強会を開いたり、ピンチのときに絶妙なタイミングで声掛けしたりと、若い選手が多いチームで期待通りのリーダーシップを発揮した。名前と経歴のモデルは加藤英司。 小野寺 学(おのでら まなぶ) 背番号3、右投げ両打ち、内野手(遊撃手・三塁手)。19歳。 経歴/外木場学園高校-京浜アスレチックス(1996年1位) 名門・外木場学園高校では主将として活躍、夏の甲子園で2度全国優勝した1996年の花形ドラフト1位ルーキー。毒島とは1期違いだが年齢は同じ。甘いマスクに高校時代から注目されていた事を感じさせないほど性格も素直と、非の打ち所が無い。新人離れしたグラブさばきと俊足が売りで、出番は多くないが数多く盗塁を成功させ、アスレチックス首脳陣がこれからに期待している選手。 高校までは右打ちだったが、プロ入り後は左打ちにも挑戦する。打撃はまだまだ未熟だが、高校時には夏の甲子園の決勝でサヨナラ本塁打を放ったり、プロ初打席で決勝打となるポテンヒットを打つなど天性の強運の持ち主。同期入団で本上とは練習なども共に行なったりと仲が良い。優勝のかかったダブルヘッダー2戦目では代走で出場、アウトになればゲームセットという場面で盗塁を2つ決め、度胸のある所を見せた。 山本 恒男(やまもと つねお) 背番号10、右投げ右打ち、内野手。28歳。 黒田正弘と常に一緒に飲み歩いている子分、ソープランド好き。打撃は平凡だが守備能力は高く、内野はどこでもこなせる。打順は下位が多く、たまに1番で起用されている。 だらしない性格で練習嫌いのため、黒田ほど毒島達に感化されていなかったが、物語終盤ではリストラに怯え真面目に練習に参加するようになった。しかし1997年シーズン終盤、優勝を目指し盛り上がる若手に対して要と共に冷やかな反応を取り、三木監督の怒りを買い試合途中からベンチに下げられる。優勝のかかったダブルヘッダーではベンチから声援を送っている。 矢島 健一(やじま けんいち) 背番号14、左投げ左打ち、一塁手。プロ18年目。 経歴/?-ダイエー(?-1996)-京浜アスレチックス(1996-) 渋谷貴之とのトレードでダイエーから移籍したベテラン。アキレス腱に爆弾を抱えており何度か欠場しているが、かつて首位打者を獲得した打棒はいまだ健在で、4番を任されることも。 若い選手が多いアスレチックスの中で頼りになる存在だが、オヤジギャグを連発するため人望はいまいち。名前と経歴、オヤジギャグを連発する癖のモデルは谷沢健一。 広岡 不二夫(ひろおか ふじお) 背番号23、右投げ右打ち、外野手。 経歴/?-:西武ライオンズ(?-1996)-京浜アスレチックス(1997-) 西武ライオンズから移籍してきたベテラン選手。影は薄いが、作中ではかつて秋山幸二の守備のお手本となったほどの守備の職人で、本職以外にも捕手以外はどこでもこなせるといういぶし銀のユーティリティプレイヤー。解説者からは出来すぎと言われる活躍を見せた。 佐世保への頭部死球をめぐって乱闘が生じた際に、近鉄・佐々木監督の弁解に広岡が反論するシーンがあるが、ここには実際に阪急対西武戦で乱闘が起きた時に、激高する阪急・福本豊を西武・広岡監督がやり込めた台詞が使用されている。名前と経歴のモデルは広橋公寿と西岡良洋の合成。 八木(やぎ) 背番号25、右投げ右打ち。 経歴/?-:西武ライオンズ(?-1996)-京浜アスレチックス(1997-) 広岡とともに西武からリストラされ移籍してきたベテランで、リーグ屈指のサウスポー殺し。バントも上手く、本塁打を8本放つなどパンチ力も兼ね備えているのだが、右投手が全く打てないため主に代打として活躍。 脇菜 良晴(わきな よしはる) 背番号2。右投げ右打ち、捕手。 経歴/?-:阪神タイガース-千葉ロッテマリーンズ-京浜アスレチックス(1997-) 阪神とロッテでプレーした19年目のベテラン捕手。元チームメイトの小宮山悟のルーキー時代にプロのいろはを教えており、劇中の小宮山の苦手な存在である。捕手としては相手の隙を突くリードが得意。 佐世保欠場時にスタメンで出場。大ピンチの場面で毒島を好リードし、うまく打たせて併殺に仕留めた後、フィッシュバーンから三振を奪った。名前や元阪神という経歴のモデルは若菜嘉晴。なお作中には、連載当時ダイエーのコーチだった若菜本人も登場している。 要(かなめ) 背番号9。右投げ両打ち。外野手 外野手。山本より先輩のベテラン。色黒。 たまにスタメンで1番で起用されることもあったが、1997年シーズン終盤の試合で「今年はこれで充分だろ、息子に自慢ができる」と言い放ち、三木監督の怒りを買い、山本と共にベンチに引っ込められる。名前と風貌のモデルは屋鋪要。 佐藤慎(さとう しん) 背番号59。 代走の切り札。代走以外での登場が一切ない。他に佐藤という選手がいるのか、「佐藤慎」で通っている。「慎」がフルネームかどうかは不明。佐世保退場時に、ピンチランナーで出場した。名前のモデルは佐藤純一か、佐藤兼伊知と古川慎一の合成。 藤川(ふじかわ) 背番号4。右投げ右打ち。ポジションは内野(ショート)と外野両方をこなす。通称「こけしバットの藤川」。日韓野球に出場経験がある。 清水のお披露目投球、斉木の背番号を賭けた勝負の時のバッターで、毒島の剛速球を間近で味わったプロ打者第1号。毒島1年目はレギュラーだったが、2年目からは出てこなくなった。打率は低い。モデルは藤原満。 小野(おの) 背番号54。右投げ右打ち、内野手(一塁手)。 毒島1年目に登場するが、佐世保らの台頭後は1軍から消える。 ノリス 背番号31。右打ち。 毒島1年目に在籍したダメ外国人。名前のモデルはチャック・ノリス。
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