京津間直通運転をめぐるその他の構想
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「京阪60型電車」の記事における「京津間直通運転をめぐるその他の構想」の解説
京阪は1961年に浜大津で京津線と接続する江若鉄道の株式を取得、1963年の淀屋橋延長線の開業を見据えて淀屋橋から三条・浜大津経由で江若鉄道の終点、近江今津までの約112kmを走破する直通列車の運転計画に乗りだした。 道路交通がまだ十分に発達していなかった1960年代初頭の段階では、夏は水泳場、冬はスキー場と季節を選ばず行楽客を期待できる湖西地区への直通運転には大きな需要が見込まれたのである。 だが、計画当時の京阪は直流600V電化・軌間1,435mm、江若鉄道は非電化・軌間1,067mmと規格が全く異なっていた。そのため、動力方式の相違については江若鉄道および南海電鉄天下茶屋工場の協力を得てディーゼルカーとすることとされたが、軌間の相違の問題は解決が難しく、浜大津 - 膳所間で実績のあった3線軌条方式をはじめ様々な案が検討された。 最終的には軌間変換装置を気動車に搭載、この気動車で京阪の全線を自力走行し、浜大津の地上設備で車輪をスライドさせて江若鉄道線へ入る案が選択された。 しかし、この案では淀屋橋地下延長線内での騒音・排ガス問題や、京津線の66.7パーミル勾配区間での再起動で動軸数が50パーセント以上を確保できないことなど、当時の技術では解決が困難な問題が多かった。そのため、軌間可変ディーゼルカーによる江若鉄道直通計画は早々に断念され、本形式で切り開かれた特殊車両による異種規格路線間直通運転のさらなる拡大は実現を見ないままに終わった。
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