京津電気軌道時代とは? わかりやすく解説

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京津電気軌道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:32 UTC 版)

京阪京津線」の記事における「京津電気軌道時代」の解説

1906年明治39年3月19日旧東海道沿って京都市中心部大津市中心部とを直結する電気鉄道敷設目的に、京津電気軌道株式会社が、京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設を内務省出願。 ほぼ同時旧東海道沿って京都市中心部大津市中心部とを直結する電気鉄道敷設目的に、京都電気鉄道株式会社(後の京都市電)ほか1社が、京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設を内務省出願京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設が京津電気軌道京都電気鉄道株式会社ほか1社の3社の競願となる。 この年鉄軌道事業主務官庁監督官庁)である内務省京津電気軌道株式会社京都電気鉄道株式会社ほか1社の3社に対して妥協による合流要請京津電気軌道株式会社京都電気鉄道株式会社とが妥協し京都電気鉄道株式会社京津電気軌道株式会社合流1907年明治40年1月24日軌道条例に基づき内務省から京津電気軌道株式会社に対して三条大橋 - 浜大津間10.0kmの軌道敷特許状並びに命令書が下付1910年明治43年3月28日京都商工会議所において、京津電気軌道株式会社創立総会開催され資本金150万円発足初代社長衆議院議員奥繁三郎就任1911年明治44年4月22日工事施行認可6月21日三条大橋 - 辻間軌道敷工事滋賀県側で着工8月1日逢坂山隧道全長約250m)の掘削工事着工12月4日逢坂山隧道貫通1912年明治45年6月16日:日ノ岡取工事完了6月19日四宮発電所竣工7月11日京津1型客車12両を竣工1912年大正元年8月15日上関寺駅現在の大谷駅 - 上栄町駅にあった1971年8月15日廃止付近における官設鉄道東海道本線現在のJR西日本 東海道本線)を跨ぐ上関国鉄跨線橋建設工事の遅れから、三条大橋駅 - 上関仮乗降場間と上関寺駅 - 札ノ辻駅現在の上栄町駅 - びわ湖浜大津駅にあった1946年10月1日廃止)間がそれぞれ個別開業上関寺駅付近100m徒歩連絡12月13日三条大橋 - 三条間0.6kmの軌道敷特許状並びに命令書が下付12月14日上関寺駅付近における官設鉄道東海道本線を跨ぐ上関国鉄跨線橋建設工事竣工し上関仮乗降場 - 上関寺駅間約100m開業し三条大橋駅 - 札ノ辻駅間10.0kmが一体化し直通運転開始。同区間10毎に30分で結ぶ。 総工費 - 1451,10773銭。 京都市内から琵琶湖畔の栗太郡瀬田村現在の大津市瀬田) - 滋賀郡下阪本村唐崎現在の大津市唐崎)間・湖東山田港(栗太郡山田村現在の滋賀県草津市山田町)・木ノ浜港(野洲郡速野村現在の滋賀県守山市木浜町)や湖西雄松埼港(滋賀郡小松村現在の大津市南小松)・竹生島への参詣客誘致のため、太湖汽船湖南汽船両社とも現在の琵琶湖汽船)との連絡割引切符発売開始12月20日京津電気軌道から古川町木屋町三条経由 京都電気鉄道木屋町線、木屋町五条五条経由 京阪電気鉄道京阪本線の3社線連絡運賃認可1913年大正2年1月1日大阪市内からの観光客誘致、及び大津市内からの桃山御陵参拝誘致のため、京阪電気鉄道京阪本線 天満橋駅 - 五条駅現在の清水五条駅)間、京都電気鉄道木屋町線(後の京都市電木屋町線1927年1月22日全線廃止木屋町五条 - 木屋町三条間を有効区間とする京阪電気鉄道京都電気鉄道との3社連絡切符発売開始3月1日大津電車軌道現在の京阪電気鉄道石山坂本線)との連絡切符発売開始1916年大正5年5月1日官設鉄道東海道本線 京都駅 - 馬場駅現在の膳所駅)間の現行ルートへの移設工事に伴い御陵駅 - 毘沙門道駅現在の京阪山科駅)間の一部区間新設東海道本線 高架盛土高架北側移設する工事開始1917年大正6年5月5日札ノ辻駅 - 浜大津駅間の家屋立退進展せず敷設断念1919年大正8年5月29日三条大橋駅 - 三条駅間が単線開業1921年大正10年8月1日官設鉄道東海道本線京都駅 - 馬場駅間の現行ルートへの移設工事に伴う御陵駅 - 毘沙門道駅間の一部区間新設東海道本線高架盛土高架北側への移設工事竣工し毘沙門道駅山科駅前駅現在の京阪山科駅)に改称1922年大正11年2月22日ノ辻 - 浜大津間の軌道敷延長申請2月29日安曇川上流中村水力発電所竣工この年 奥繁三郎社長積極的に京阪電気鉄道株式会社との合併交渉乗り出し京津電気軌道株式会社京阪電気鉄道株式会社との合併協議進める。 1923年大正12年2月20日三条大橋駅 - 三条駅間が複線開業この頃奥繁三郎社長推し進める京津電気軌道京阪電気鉄道との合併異議を唱える役員増加一部役員の中からは、独自に京都電燈現在の京福電気鉄道)との合併交渉取り組む者まで現れるうになる京阪電気鉄道株式会社鉄道大臣、及び京都府知事に対して京津電気軌道との合併によって大阪市 - 大津市間の直通運転が可能となり、大幅に旅客便宜図れることや、両社とも鉄軌道事業本業する会社であることから、その一環経営による経済面能率面での国家的利益強調して具申京阪電気鉄道株式会社京津電気軌道の全事業のうち、沿線における電力供給事業については、安曇川発電所とともに電力供給事業本業とする京都電燈譲渡することで京都電燈との間に折り合いをつけ、京津電気軌道との合併協議再転させる。 1924年大正13年8月30日京津電気軌道株式会社京阪電気鉄道株式会社との間で、合併に関する仮条約締結される9月27日京阪電気鉄道株式会社臨時株主総会において、京津電気軌道株式会社軌道事業325万円譲り受け同社合併することが決議されとともに京阪電気鉄道株式会社資本金が5,077万円増資される

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