合併協議
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熊谷市、大里町、妻沼町との合併協議会に参加していたが、2004年3月に実施された住民投票の結果を受けて、江南町のみが離脱した。 しかし、財政が厳しく、数年後には財政再建団体に転落することになるという試算までもが出たため、江南町議会の合併推進派が再度合併に向けて活動。住民からの署名活動(過半数取得)を経て、2006年1月26日臨時町議会で新しい熊谷市と合併協議会の設置を求める決議、福田町長が熊谷市の富岡清市長に合併協議の申し入れ、江南町議会と熊谷市議会がそれぞれ2006年3月3日・3月20日に、合併協議会設置の議案を賛成多数で可決。再度合併協議が行われることになった。 2006年4月1日に合併協議会を設置、7月13日に合併協定調印式を行った。そして、7月24日に熊谷市・江南町両議会で賛成多数で合併を可決、7月27日に埼玉県知事への申請、10月12日には埼玉県議会で合併が可決、10月18日に知事による合併の決定と総務省届出がされた。そして、11月10日の官報で総務大臣より告示され法的にも確定した。なお、町内では、合併反対派住民が、過半数を取得した町民署名を無視して、以前の住民投票の結果を盾に反対運動を展開していた。[要出典]2015年現在においても、合併に至る経緯を無視して、住民投票の結果を盾に旧江南町の分離を求める旧町民が存在する。
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合併協議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:47 UTC 版)
大里地区(現、当町・深谷市・熊谷市)の枠組みで広域合併を検討していたが、2003年に破綻。後に深谷市・大里郡川本町・大里郡花園町・岡部町との合併協議会に参加したが、2004年に花園町との単独合併を目指し離脱。しかし、花園町は紆余曲折の末、深谷市・川本町・岡部町との合併協議への合流を決断して2006年に合併が成立、当町は取り残された形となった。さらには、当町と同様に熊谷市との協議から離脱し、単独町政を行っていた同じ大里郡の江南町が財政難から結局熊谷市と合併、当町は大里郡唯一の自治体として単独町政を続けている。
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合併協議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:43 UTC 版)
詳細は「佐伯町 (岡山県)#市町村合併」を参照 和気町・佐伯町の合併調印後、一旦は佐伯町議会で合併議案が否決され、合併協議会からの脱会決議が可決された。その後、佐伯町長・町議会のリコールが成立し、出直し選挙が2005年(平成17年)2月27日に実施され、当選した新町長が合併推進に転じて、合併に至った。
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