豊前市との合併協議
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2007年2月26日、福岡県知事から、合併特例法に基づき豊前市との法定合併協議会設置を全国で初めて勧告された。これにより豊前市との合併協議が進展することとなったが、上記にあるように中津市との合併意見や単独町制を望む意見も根強く、豊前市との合併は住民の意見を無視しているとの批判も大きかった。しかし、豊前市議会と吉富町議会は法定合併協議会設置案を賛成多数で可決し、4月1日に合併協議会は設立された。 2007年4月22日、豊前市との合併に反対する今冨寿一郎が合併容認派の中家一(前町長)を破り、町長に当選。同日施行された町議会議員選挙でも合併反対派が躍進する結果となった。 2007年8月11日、今冨寿一郎町長は豊前市との合併協議を凍結する意向を固めたため、合併協議は事実上の白紙となった。豊前市の釜井健介市長は今冨氏を批判したが、今後も豊築地域での合併を目指すと見られている。
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