合併協議の経過
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当初は2005年3月22日の発足を目指し、2004年6月27日に合併協定書に調印したが、高田町議会が合併関連議案を2度にわたって否決し、合併協議会は解散に追い込まれた。しかしその後、2005年6月5日に住民のリコールを受けて行われた高田町議会議員選挙で合併推進派が反対派を上回ったことから、同年10月1日に再び合併協議会が設置された。そして2006年3月11日に合併協定書に調印し、各町議会と福岡県議会の議決を経て、同年7月13日に総務大臣が官報に告示、2007年1月29日の新市発足が決まった。 市名の「みやま」とは、三池郡の「三」と山門郡の「山」を取った合成地名で、消防署の名称などとして親しまれてきた。漢字でなく平仮名とした理由は、合併協議会の説明によると「平仮名の方が親しみやすい」、「『三山市』の『三』と『山』をひっくり返し、『三』を横にして『川』にすると、『山川市』になる」などがあるという。名称募集の集計結果や合併協議会の協議過程では漢字名支持が多数を占めたが、合併協議会において各町の主張する名称がそれぞれ異なり議論が平行線となったために、協議会会長であった鬼丸岳城瀬高町長の音頭によって平仮名名称での妥協に至ったとされる。
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