合併協議決裂後の川口と鳩ヶ谷の動向
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「武南市」の記事における「合併協議決裂後の川口と鳩ヶ谷の動向」の解説
合併構想に参加していた3市の内、鳩ヶ谷市では市長が川口市との合併に積極的であることから2007年に合併推進室を設置。市民アンケートの結果、川口市への編入合併に対する賛成も3割にのぼるとして編入合併方式についても否定しない方針を表明しているが、川口市側は当初「時期尚早」として再協議を開始するか否かについて態度を保留していた。 2009年1月、鳩ヶ谷市が川口市に対して再度の合併協議を申し入れたのに対し川口市の岡村幸四郎市長は、同年7月の定例市議会で同年内に川口と鳩ヶ谷の2市で任意の協議会を設置する意向を表明した。そして、鳩ヶ谷市は2011年10月11日に川口市へ吸収合併され、消滅した。 なお、鳩ヶ谷市は町政施行時の1940年に新郷村・神根村・芝村と共に当時の国策のため川口市へ強制的に編入合併されたが1950年に再度、鳩ヶ谷町のみが当時の鳩ヶ谷の住民の民意によって住民投票を経て分離され旧新郷村域が川口市への残留を希望し川口市の飛び地となった経緯がある。この飛び地は1956年に安行村が川口市へ編入合併されたことに伴い解消しているが、その結果として鳩ヶ谷市(1967年に市制施行)は南側の一部が東京都足立区に接するのを除いて周囲一帯を川口市に取り囲まれる形状となっていた。なお、第二次世界大戦の敗戦後に日本において生じていた昭和の大合併の際に、安行村などの現在の川口市の北東部の村落は、「東の鳩ヶ谷、西の飯能」と称されていたように政情が不安定であった鳩ヶ谷よりも、経済的に順調に発展していた川口との合併を選択した。
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