合併反対の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「合併反対の動き」の解説
沼垂町は1913年(大正2年)10月に、合併について町民の理解を得るための説明会を開催した。しかし、説明は合併反対派の妨害により途中で解散となった。反対派の主張は、「人情、風俗、生活習慣の異なる新潟市と合併しなくとも、沼垂町は発展する」というものであった。反対派は町会に合併反対の請願や建議を提出し、事務所を設けたり、町長代理の家へ押し掛けたりするようになった。 これに対して11月4日に新潟県知事自らが沼垂町を訪れ、合併の必要性を説いた。合併賛成派は「合併問題を検討する合併研究会」を結成し、12月11日に沼垂座で第一回大会を開いた。しかし、反対派はこの会への出席を拒み、賛成派の意見だけが発表される会となった。さらに、16日には第二回大会を開き、税負担が軽減されることを説いた。 反対派は1914年(大正3年)1月17日に浄徳寺に1,000人余りを集めて町民大会を開いた。また、政府へも陳情したが、町会は合併派が優位を占め、新潟県知事の積極的関与の下で合併準備が着々と進み、反対派は急速に勢力を失っていった。
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