富士製紙への合併とは? わかりやすく解説

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富士製紙への合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:26 UTC 版)

四日市製紙」の記事における「富士製紙への合併」の解説

1893年四日市製紙技術顧問となった大川平三郎は、当時王子製紙在籍していたが1898年同社退職。ともに王子退職した技術者職工など40余りとともに工場建設中の四日市製紙移籍してきた。同年末には四日市製紙専務取締役就任した。しかし大川とともに移籍した者と従来からの四日市製紙従業員との相性悪く大川自身株主らと対立したため、引き連れてきた技術者職工とともに1901年明治34年上海製紙会社へと再移籍し1903年明治36年)には専務辞任して顧問戻ったこの後大川上海から日本に帰国熊本県九州製紙岐阜県中央製紙などの経営関わり1908年取締役として四日市製紙復帰した。また株式の取得進め1913年明治45年)の時点では全株式5.0%を保有する筆頭株主となった1918年大正7年)には社長に就任する四日市製紙大川製紙会社一員として、樺太工業の設立にも参加した大川1919年大正8年6月当時大手製紙会社である富士製紙社長に就任した。それから5か月後の同年11月大川社長兼ね富士製紙四日市製紙合併決定した四日市株主一部から合併反対の動きがあったが、翌1920年大正9年2月実行され富士製紙四日市製紙吸収された。 四日市製紙工場富士製紙合併された後、1933年昭和8年)より王子製紙芝川工場となるが、戦時下軍需工場転換するために1943年昭和18年)に操業停止王子鋳造として分離された。戦後製紙業復帰し王子鋳造1960年昭和35年)には芝川製紙社名変更。後に新富士製紙合併し富士製紙2代目)王子特殊紙経て2012年平成24年)より王子エフテックスという社名となった。旧四日市製紙工場は、王子エフテックス東海工場芝川製造所として2012年現在操業している。

※この「富士製紙への合併」の解説は、「四日市製紙」の解説の一部です。
「富士製紙への合併」を含む「四日市製紙」の記事については、「四日市製紙」の概要を参照ください。

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