合併構想とは? わかりやすく解説

合併構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 09:40 UTC 版)

鳩ヶ谷市」の記事における「合併構想」の解説

2000年平成12年)、川口市草加市蕨市戸田市と当市で構成される、「県南5市まちづくり協議会」において合併研究始められた。その後この合併構想から草加市次いで戸田市離脱し2002年平成14年12月26日残った3市によって任意協議会川口市蕨市鳩ヶ谷市合併協議会」が結成され翌年12月には法定協議会移行した2004年平成16年)には新市名公募が行われ、人口圧倒的に多い川口の名を新市名とする「川口市」の案が1位となったその後合併協議会は、この公募結果をもとにまず6点、さらに「川口市」と「武南市」(公募5位)の2点絞って議決をとった。その結果蕨市委員が「武南市」を推薦し当市の委員一部がそれに応じたため、武南市新市名として選定された。 川口市臨時市議会にて、この結果民意無視しているとして合併協議離脱求め決議があり、同年8月川口市合併協議会からの離脱表明翌月には合併協議会解散された。合併協議会解散後鳩ヶ谷市は「合併に関する世帯意向調査」を行い、「川口市との合併」を求め意見過半数達したこと、編入合併についても3割以上の賛成があったことから川口市改め合併協議申し入れた。しかし、川口市時期尚早とし、2007年2月時点合併に至らなかった。川口市との間で懸案となっている当市八幡木におけるし尿処理施設計画を、合併推進派である木下達則市長受け入れ3月定例市議会市長直結合併推進室を設立するなどの内容条例制定された。2007年8月には「鳩ヶ谷市合併推進市民の会」が設立された。 2009年1月鳩ヶ谷市川口市に対して再度合併協議申し入れたことに対し川口市岡村幸四郎市長は、同年7月定例市議会同年内に川口鳩ヶ谷の2市で任意の協議会設置する意向表明した11月に2市は任意協議会設置合意し12月には2市の市議会が「早期任意協議会設置求め決議案」を可決したことを受け、任意協議会川口市鳩ヶ谷市任意合併協議会」が設置された。 2010年6月-7月川口市合併是非を問う住民アンケート結果合併推進求め意見過半数達したことを受けて、2市の市議会9月定例市議会で「川口市鳩ヶ谷市合併協議会設置について」の議案可決して、法定協議会川口市鳩ヶ谷市合併協議会」を設置した。その第1回合併協議会で、「鳩ヶ谷市廃し、その区域川口市編入する編入合併』とし、合併期日2011年平成23年10月11日とする」ことが決定し2011年1月28日鳩ヶ谷市川口市合併協定書調印された。その後同年8月12日付の官報総務大臣告示掲載されたことで、この合併正式に決定した2010年10月行われた市長選挙市議会議員選挙において、市長選挙では合併推進派の木下市長再選となったが、市議会議員選挙では定員15名に17名が立候補をした。結果は、合併推進派は2名落選・慎重及び反対派候補者増え合併推進派8名に対して慎重・反対派は7名となり拮抗した状態となった。選挙後初の市議会となった12月20日市議会で、この問題巡り合併賛成する市民反対する市民それぞれの市民団体から出されていた2件の請願について「合併完結させる」を採択し、「吸収合併是非を問う住民投票早期実施」を不採択とした。両請願裁決とも賛成7・反対7の同数となり、議長裁決決まったことからもうかがえる。 合併協定書調印された後の2011年2月18日2月臨時市議会で「川口市への編入合併県知事に申請する議案など合併関連4議案」と、合併反対する市民団体からの直接請求により提出された「合併是非を問う住民投票条例案」の採決が行われ、両議案裁決とも賛成7・反対7の同数となり、またも議長裁決で「合併関連4議案」を可決。「合併是非を問う住民投票条例案」を否決し、約61年ぶりに川口市との再合併事実上決まった。 なお、鳩ヶ谷市鳩ヶ谷町時代1940年昭和15年)に新郷村神根村芝村と共に当時国策皇紀2600年記念行事)によって半強制的に川口市編入合併されたが、第二次世界大戦敗戦後1950年昭和25年)に再度当時の旧鳩ヶ谷町域の住民民意により住民投票行った上で同年11月川口市から分離し鳩ヶ谷町再建した。これにより、川口市への残留決定していた旧新郷村域が川口飛地となった。この飛地1956年昭和31年)に安行村川口市編入合併されたことに伴い解消しているが、その結果として当市(1967年昭和42年3月市制施行)は南側一部東京都足立区接す箇所除き周囲一帯川口市取り囲まれる形状となっていた。 なお、旧新郷村飛地になるにも関わらず川口市への残留決定し、かつ安行村という川口市北東部においてかつて存在していた村落は、地理的に鳩ヶ谷との合併の可能ではあったが、川口との関係をめぐり政情不安定な鳩ヶ谷よりも、順調に経済発展していた川口との合併選択したこの他1957年昭和32年3月にも県から埼玉県新市町建設促進審議会に基づき川口市鳩ヶ谷町当時)の合併勧告され翌年3月には鳩ヶ谷町議会で「川口市との合併議案可決したものの、同年11月実施され鳩ヶ谷町議会議員選挙合併反対派議員候補多数当選し12月鳩ヶ谷町議会定例議会で「川口合併取消」の緊急動議出され賛成多数可決されたため断念したということもあった。

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合併構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:17 UTC 版)

古賀市」の記事における「合併構想」の解説

2007年7月10日古賀市長は福津市長、新宮町長に2市1町(福津市新宮町古賀市合併提言行った。 なお、新宮町に関して福岡市との合併構想もある。

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合併構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:15 UTC 版)

朝霞市」の記事における「合併構想」の解説

2001年4月朝霞市志木市和光市新座市の4市で法定合併協議会設置し新市役所朝霞市に置くこと、2005年3月までに合併することなどを決定していたが、4市の住民投票和光市反対多数(他3市は賛成多数)となり協議会解散した再度2003年和光市を除く3市で任意協議会発足させたが、合併特例法期限内の日程間に合わないことから協議会解散した。4市の合併では人口45万人中核市目指すとしていたが、さらに広域合併構想として、同じ地域圏南西部地域)の富士見市ふじみ野市三芳町や、市域一部が元埼玉県である東京都清瀬市合併して80万人政令指定都市目指す構想もある。なお合併見越して1998年に4市の消防本部統合され埼玉県南西部消防本部誕生している。

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合併構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:06 UTC 版)

白井市」の記事における「合併構想」の解説

詳細は「北総市」を参照 2003年印西市印旛村本埜村と2市2合併検討され2003年4月1日には「印西市白井市印旛村本埜村合併協議会」が設立されていたが、2004年7月住民投票反対票が賛成票の倍以上を占め結果となり、合併計画白紙となった

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