合併計画
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九十九里市 2002年(平成14年)11月25日に山武地域合併準備会が発足した。当初はこの4町村と東金市、九十九里町が合併する計画で、2003年(平成15年)12月25日に山武地域合併協議会が新市名を九十九里市(くじゅうくりし)と決定し、2005年(平成17年)3月22日の合併を目指していた。2004年(平成16年)11月28日の東金市の住民投票で「合併反対」が多数となり離脱することになり、2005年(平成17年)1月31日に山武地域合併準備会が解散することになった。結局、東金市と九十九里町を除いた4町村が合併することになった。実現していれば13万人の都市になっていた。 太平洋市 2005年(平成17年)1月31日に山武中央4町村合併任意協議会が新市名を太平洋市(たいへいようし)と決定した。古谷淳・松尾町長(当時)は「決してパシフィック・オーシャンの意味ではない。大きな希望を持った平和な市と理解してほしい」と釈明したが、「一自治体が『太平洋』を名乗るべきではない」という趣旨の抗議が相次いだ。そのため、2005年(平成17年)2月27日に新市名を白紙撤回され、住民アンケートを行って同年3月15日に現在の市名に変更された。 「広域地名#批判的観点」も参照
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合併計画
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2003年-2004年の合併計画 2003年8月20日、茂原市と一宮町・睦沢町・長生村・白子町・長柄町・長南町の1市5町1村の長生郡市の広域合併を目指して法定協議会が設置された。 その後16回にわたって開催された合併協議会の中で、合併基本4項目のうち「合併方式は新設合併」「新市名は『長生市』」「事務所の位置は現行の茂原市役所」と3つまで決定しながら、具体的な合併期日を決定することができなかった。 当市の2004年9月定例議会において、合併期日の度重なる継続協議に進展が見られないことを理由に、全会一致で合併協議会離脱を決議。長生郡市合併協議会は同年12月24日をもって廃止が決定された。 2006年-2007年の合併計画 2006年3月以降 - 7市町村の首長、議長による合同会議が開催。 2007年4月10日 - 長生郡市合併協議会(法定協議会)が設置。 2007年6月 - 新市名を公募、7月10日の長生郡市合併協議会(第6回)にて「茂原市」と決定。 2007年8月10日 - 長生村が協議会からの離脱を表明。他市町が長生村抜きでの協議会継続に難色を示したため、協議会は休止。予定されていた協議項目については、この時点ですべて協議が終了していた。 2008年3月 - 長生郡市合併協議会を廃止。
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