白紙撤回
はくし‐てっかい〔‐テツクワイ〕【白紙撤回】
白紙撤回
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 21:05 UTC 版)
布告を突きつけられた鈴木は、マーシャルに布告に反対する旨告げるとすぐさま東京に向かい、政府に事の次第を報告する。東久邇宮内閣は鈴木からの報告により緊急閣議を開き、外務官僚で終戦連絡中央事務局長官の岡崎勝男を横浜に急行させ、命を受けた岡崎はホテル・ニューグランドにいたマーシャルと会談を行った。岡崎とマーシャルの深夜の会談の結果、とりあえず9月3日午前10時の布告公表は差し止めとなった。続いて内閣から重光葵外務大臣が総司令部に赴き、マッカーサーとの交渉に臨むこととなった。 当初計画では布告が発表されて30分後にあたる9月3日午前10時半、重光とマッカーサーの対談が始まる。重光は、布告は「天皇制の維持と政府を認めている」ポツダム宣言に反し、国民も政府を信頼していることを切り出したうえで、布告に関して日本は認めがたく、行政上の問題が生じても政府がタッチできないので混乱が巻き起こるだろうから、布告は受け入れがたいと主張。これに対してマッカーサーは、日本は敗戦国ゆえに課せられた義務は必ず遂行するべきであり、自分もそれを期待していると説いた一方で、日本を破壊したり国民を奴隷にすることは考えておらず、布告は日本政府から発してもよいと述べ、要は政府次第であると返答した。ここで参謀長のリチャード・サザランド陸軍少将が重光の意図をマッカーサーに伝え、布告を「日本政府に対する総司令部命令」に変えるよう進言した。はたして布告は総司令部命令に差し替えられ、同時に布告中止の総司令官命令も発せられて軍政の施行は中止となった、はずであった。
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