当初計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 03:05 UTC 版)
南北線最初の計画では、岩淵町(現在の赤羽岩淵駅)から南西方向に向かい、東京陸軍兵器補給廠専用線跡(現在の赤羽緑道公園など)を引き込み線(延長2.2 km)として経由して、北区西が丘3丁目にある国立西が丘サッカー場横の敷地(旧TOD第一地区)に車両基地を建設する計画であった。引き込き線の途中、桐ケ丘(北区赤羽台・法善寺墓苑付近)には駅を設ける予定であった。 しかし、住民の大きな反対運動が起こり、計画場所は移転して陸上自衛隊武器補給処十条支処赤羽地区跡地(旧TOD第二地区) 約33,000 m2 に、地下2層構造・230両収容の大規模な車両基地(整備工場を含む)を建設する方針となった(現在は赤羽自然観察公園となっている場所)。 詳細は「東京メトロ南北線#西が丘車両基地計画と反対運動」を参照 最終的には、現在の神谷堀公園下に建設することになった。この反対運動は、営団地下鉄への路線免許交付を中断させ、南北線の建設に大きな影響を与えた。 また、本車両基地の収容不足を補うため、市ケ谷駅付近の地下に市ケ谷留置線が建設されることになった。同じく計画中止となった工場については大規模検査を千代田線の綾瀬工場で実施することで対処した。
※この「当初計画」の解説は、「王子検車区」の解説の一部です。
「当初計画」を含む「王子検車区」の記事については、「王子検車区」の概要を参照ください。
「当初計画」の例文・使い方・用例・文例
- 当初計画のページへのリンク